愛に導かれる教育の必要 ① 木村 葉子

基督教共助会100周年記念、「『明日の教育』を考える」として、シンポジウム「〈主題〉何が人を『人格』にするのか、―今、教育の担い手に求められていること―」が10月に開かれた。8月の委員会で安積力也氏から主題の趣旨と提案がされた。特に自らの破れをもって語ること、応答者は自分に何が問われたか。あらゆる命がけの実践には見えがたい光がある、本気で一人の救いのために対応してきたか、時代の問題(社会)に自分が引き受ける応答は何かを語ること。私は圧倒された。それは彼の教師としての真摯な姿勢を表していた。言葉がなかった。それから公立学校で38年間、理科の教員をして退職した私は改めて試行錯誤の私の教員生活を反省させられた。

シンポジウムは一日中発題と分団と応答が続き、共助会らしい自らに向き合う充実した会であった。キリスト教主義学校の教員四名が発題した。生徒に誠実に向かい苦闘した飾らない言葉に私は心を打たれた。あえて互いに破れを語り人の弱さと課題を明らかにしなければ見えてこないものがあった。それは痛みを伴う語りである。聞き手の信頼を前提としなければ語れないものであった。

会の前、私は若い人に9月のニュース「教師間のいじめ・激辛カレー事件」について尋ねると「よその学校でもあると思う」だった。「ほんと、悲しいね」。ここまで学校は荒れているのか。神戸市立小学校の20代の男性教員が4人の教員に羽交い絞めにされ激辛カレーを無理やり食べさせられ目に塗られその動画が連日テレビに流れていた。被害者は日常的に人格を否定する暴言や暴力を受け、遺書を書くほど追い詰められ九月から病休となった。彼は子どもたち一人一人に「今年も頑張ってね」と手紙を書くような優しい教員である。「子どもが大好きで教師になった」「職員室に行くのが恐怖だった。教室で子どもたちといる時だけが幸せだった」。加害教員は教室でいじめを自慢して子どもたちに語っていた。前校長も加害者だった。私は静岡県にいた時、小学校教員新採半年24歳で自死した他教会員の娘さんの話を聞いた。彼女の遺した文章「子どもたちを愛し子どもたちのために全力を尽くそう」に始まった担任だが連発する問題児の行動や暴言に苛まされ、保護者からの苦情、同僚・教頭の言葉に、鬱に陥る程追いつめられた。9月「相談できる先生も少しはいる。が、希望や夢を描けない。トラブルが起こった時は私を支えて欲しいのに、教頭にも責められる。むなしい。つらい」「楽しいばかりとは程遠い。4月からほぼ毎日涙が出てしまって気が狂う前に辞めた方がいいと思っていたけれど、……」。3日後自死。教育に希望をもって教員になった青年が潰される学校。教師の仕事は魅力があるが、同時に耐え難い苦しみや辛さにあうこともある。今日、教員の仕事は膨大で多忙になり、孤立無援と深い自責が心を鬱病へ追い込む。身近な教員が次々辞めている。教師が死ぬほど苦しむ学校は、子どもにも辛く生きづらく幸せでありえない。今日、日本の青年、特に10代の自死者は突出して世界1位になってしまった。2018年には599名。理由は、学校(学業不振、進路)188名、ほか家庭内不和、いじめで、大半が遺書なく不明とある。彼らの悲痛の叫びが響く。今、学校で何が起きているのか、現実を知って、学校や教師への批判を覚えつつ、政治の強行する教育改革を問い直したい。改革を要する緊急なものと、最も重要な基本を明らかにし、実現化する責任が市民の私たちにある。

日本の教育環境は他国との比較でも劣り続けている。クラス人数は多く、教員数は少なく、教育予算は減少。現在、公的教育支出は、経済開発機構OECD43国中40位。相対貧困率47国中31位。子どもの貧困率34位(ユニセフ)。7人に1人が貧困、民間子ども食堂が広がる。2019年文科省予算4.2兆円、(2019年防衛省予算4.9兆円2016年世界四位世界国勢図会・教科書資料)日本の教員の勤務時間状況は34国中33位。文科省資料では2018年、残業時間月80時間の過労死ラインを越える教員が小学校の34%、中学の60%。百時間以上も多い。病欠者が多い。この10年間に全国で60人が過労死。多くの教員が「授業外仕事が多く授業準備の時間が足りない」「もっと子どもとふれあう時間が欲しい」と訴える。この状況で15歳生徒の学力世界ランクは10位以内を保つ。

学校はブラック企業化をいわれ、教員の成り手が激減し、全国的に教員の不足が深刻である。東京都公立小学校正規教員の不足は今年4月202人、中学校77人。担任不足小学校77校。合同授業や自習。緊急に教頭や非常勤、臨時免許教員が補う。担任がいない生徒の不安はいかばかりか、理科や美術の授業ができない失望は大きい。以前全国小学校教員採用試験は2000年12.5倍と高倍率だったが、近年連続し2018年には3.2倍、東京都では、来年2020年度採用分で1.1倍に低下。3倍を下がると質を確保できない。

教育評論家尾木直樹氏が教える私大の学生は教員にならないという。以前は、教育実習で仕事のやりがいを感じて教員を志望したが、今は学校の厳しい現実を見て止めてしまうという。現職教員から聞く状況は厳しい。教育集会での報告では、都立高校教員のアンケート回答は40%が生徒の学力に加えて心の病をもつ生徒が増え指導が問題という。超勤は月に百時間以上はざら。都立の教員の病有率は83%、全国平均50%。その中で約70%が教員間の協力関係がまだあると回答しているのは救いだと報告者がコメントしていた。小中学校世田谷区教組委員長F氏報告では、区教委が区版の学力テスト、九年教育、ICT、プログラミング教育、早期英語教育、道徳教育など新しい施策に教員は追い詰められている。パワハラ校長も続出。足立区教組U氏報告、足立区は学力テストの成績が下位で、向上のために取り組んでいるが弊害も多く、過去問題を使用し肝心の理解力の向上が伴わない。また区独自の性教育の取り組みが、昨年区議からバッシングを受けた。しかし、必要性の認識は学校全体が共有し全校体制で現在も実施している。若手教員の傾向は優秀でITにも強く黙々と仕事をこなす。しかし本当に困った時に誰にも相談せず周りも手を差し伸べられず病気や退職となってしまう。組合加入者が少ない。

教育国庫予算が削られ、各府県で教員や職員、幼稚園、保育園に正規教員を取らず、非正規任用率が増加している。明らかに政府の「教育改革」により学校環境は極めて悪化している。’20年の新大学共通テストの英語民間試験に対し高校生から抗議があった時、萩生田文相は「身の丈に合わせて」受験せよと、教育の機会均等を踏みにじる暴言をした。改革が生徒のためでないことはそれに象徴されている。

現在の教育改革を進める安倍政権の意図は何か。この政権は始め教育基本法を廃棄して2006年教育基本法を制定した。戦後、民主教育のために制定された一九四七年教育基本法は、「われらは個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する、普遍的にして個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底する」と普遍的理念に至った。しかし、天皇制・富国強兵の教育を進めていた文部省は解体されず、教員には理解を超えていた。当時一夜で、お国のために兵士となれと教えた教員が急に民主主義だと言い出した。良心的な教員は自らを恥じ苦悩した。若い小学校教員であった三浦綾子さんが教科書を黒塗りにさせた後、教員を辞め長く病床に着かねばならなかった原因もこの深い魂の破れに関わると思われる。

私は戦後生まれ、民主教育の公立学校で育ちよい教師に恵まれた。しかし、人権尊重を理解し、社会に生かせる市民の育成は長い時間を要する。教育は七四年間激しく揺さぶられて来た。

2006年教基法はこの抗争の中で「学力低下」「いじめ」等の教育改革を理由として制定された。しかし安倍政権の本音は、’00年「21世紀日本の構想」にあり「国家にとって教育は一つの統治行為」、財界のための人材の育成に「財政的な支出を行う、国益にかなう国家の機能」の答申そのままに改変した。さらに「教育三法」制定により、「教育再生計画」を進め、国行政による教育介入を容易にし、愛国心教育、歴史、公民科教科書の偏向、道徳教科点数化、教員管理強化、教員免許更新制、教育産業の参入などが次々と行われた。ICT(情報通信技術)、小学校への英語教育、大学入試改革のための民間英語検定の利用などが、教育産業と癒着して学校に入った。

社会も学校も、競争に勝て、負ければダメな将来しかないと青少年を追い込む。授業は成績のためだけの知識。塾や予備校が当然のような進学。自分は有利な環境にないのに自己責任といわれ、学校には頼りになる教師はなく、荒れた学校でいじめで孤立したら、親には心配をかけたくないし一体どうしたらよいのだろう。自分のことを分かってくれる人はいない、空気を読み人に合わせて生きるのは辛い。黙って耐えるのはもう限界だ。卒業して、社会に出ても、こんな暗い苦しい道が続くのだろうか。やりたい仕事はない。その先に人を働かせ利用し尽くし使い捨てにする社会が待っているというなら……。なのに、青年も少年も「不安で孤独でこの世は恐ろしい、自分はダメだ」と苦悩に打ちのめされている現実ならば、このような教育は「パンを求めるのに石を与え」ている。教育環境の整備、労働改革も急務である。それと共に、競争させ、分断、孤立させている、この「闇の力」から脱して、すべての人が安心し安全に自信を持って生きられる社会を願う。教育において最も必要なものは何か。

 

18世紀、ぺスタロッチは産業革命が興り農業共同体から引きはがされたスイスの貧しい子どもたちの自立を目指しルソーを超えて学校を作り、人間の成長過程と「人格」の尊さを明らかにし教育の理論を築き道を開いた。人間は教育されて始めて人間になる。自分を知り、他人を知り、世界を知る過程で「人格」が育つ。特に幼児期の密な親(母)の惜しみない愛情は、子どもの心に人を愛し信頼を育て、他人との健全な人間関係を作る基礎となる。人は、他人、社会、文化に影響を受けて成長する、精神、道徳、感情、特に自由意志をもつ特別な存在である。ペスタロッチは、この人間性の奥にある、人間を人間とするものを道徳的自律の力と呼んだ。

この「人間として生きる力」を与える教育の核こそが、道徳・倫理的生き方に導くこと。子どもの必要を満たす温かい愛の配慮のもとで、純粋な感情に働きかけ道徳的心情を育て、正しいことや善いことについて自発的に行動できるようにし、最後に人間の心にある正邪と善悪の関係について、考え、比較させることによって、道徳的な理解を育てること。家庭、学校、社会(教会)すべての人間教育の場で学習されなければならない。教師と生徒の温かい人格的なふれあいがある学校が、人間を育てる寛容な社会の鍵となる。

ペスタロッチの実践的教育論にある精神は、啓蒙的宗教観に留まらない福音の深い贖罪理解を含み、人間の現実を深く洞察し救いの方向性を示している。今日の教育の混迷に対し、光となり塩となり、争いと孤独に悩む人々の関係を正し、新しく再生し新しい命へ導く。私の理解で言うと、それは、好奇心や自己実現のためにだけ学ぶのでなく、愛をもって学ぶことの大切さである。神のいない知識は悪に支配されるといわれる。このことを教える者も、学ぶ者も、自他を生かす愛が不可欠であることを自覚していることである。

わが国では、最近も、無差別に人を殺すような酷い人権侵害の事件が起こっている。個人の尊厳、基本的人権についての理解と実践が極めて表面的で低い。外国人労働者の受け入れに際し、人間の心と体を国や学校や企業がまるで所有物かのように侵害して恥じず、国際問題ともなっている。その背景には、私たち自身や社会の人権感覚の低さ鈍さ、他人の感情や願いを知る共感能力や、人間性を尊重する価値観、道徳意識の低さに原因があるといえる。

今日こそこれらを日本も学校教育が、自覚的に計画的に継続して学ぶ機会を持つことが必要である。

「ユネスコ(国際連合教育科学文化機構)はそれまで、価値やイデオロギーに関わる問題領域に立ち入ることをさし控えてきたが、1979年ユネスコ事務総長は、『家庭と学校は、相互の尊重、寛容、正義に基礎を置いた道徳教育に対して、基本的な重要性を与えなければならない。ユネスコの倫理的な機能は、その設立の目的に照らして、基本的なものであるが、私は、ユネスコが宗教と教義の違い、イデオロギーの違いを超えて、世界の青少年の教育の基礎として、役立ちえるような道徳の準則を作成することを深く考慮すべき時が来たと感じるのである。』」と演説をした。それを契機に、発展途上国や、かつての共産社会主義国はもとより、家庭や、教会が中心だった欧米諸国でも、宗教、道徳、人権、平和の各教育をめぐる状況が大きく変化し、特に道徳教育が劇的に変化し、学校教育に対する期待が高まっているという。イギリスでは、従来の聖書中心主義ではなく、「生徒が自己の信仰や生き方、人生や社会の問題に立ち向かっていく態度などを、できるだけ自由に身に着けさせようとする、オープンアプローチの宗教教育である。「いかに生きるか」を問う、権威、友情、性と結婚、金銭、仕事、余暇、苦しみ、死、学習といった、人間関係、責任、人生の意味が取り扱われる。一方宗教教育と切り離した、「社会性・道徳教育」の可能性を探る試みが新しく出現したという。(『人権意識を高める道徳教育』福田弘著)(以下つづく)

(元教員、現在牧師)