傷ついた葦を折ることなく 飯島 信

「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。
彼は叫ばす、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない
この地に裁きを置くときまでは。
島々は彼の教えを待ち望む。」(イザヤ書42章1—4節)

 

2016年3月末のイースターに立川教会に赴任して間もなく4年が経ちます。今、教会が直面している大切な課題があります。その事をお話しすることによって、共助会に問われている事柄の一つの側面を語りたいと思います。教会とは何かについて、私が考えていることでもあります。司式者に読んでいただいたイザヤ書42章1節から4節の御言葉が心に響くのです。

昨年のクリスマスの出来事です。私の教会には、認知症を患い、施設に入っている教会員の方、Mさんがいます。お一人では教会に来ることは出来ません。それでも、同じ教会の女性の方が送り迎えをして礼拝に通い続けていました。しかし、Mさんは、クリスマスの数週間前に転倒して大腿骨を骨折し、手術の後にリハビリを続けていました。12月25日、甥の方から私に電話が入りました。それは、「リハビリを終えて施設に戻った伯母が、クリスマス礼拝に行かなければと言っている。礼拝はいつですか」との問い合わせの電話でした。私たちの教会では、クリスマス礼拝、祝会、キャンドル・サービスはすでに終わっていたので、そのことを伝えました。彼は、了解して電話を切りました。

認知症も進み、入院中お見舞いに行っても真っ当な会話など出来なくなっていたMさんです。しかし、クリスマスだけは覚えていて、礼拝に出たいと言われている事実が心に深く残るのです。

Mさんは、退院後、一人で歩くことは出来なくなってしまいました。足が極端に弱くなり、たとえ教会に来ることが出来たとして、いつ転倒してもおかしくない状態です。これからMさんの教会生活をどうするか、関係者が集まって相談をする予定です。しかし、送迎専門の介護者がつかなければ礼拝に来ることは出来ないと思います。そのような介護者が見つかるかどうか、又そのための費用を成年後見人が認めるかどうか、これが今直面している一つの課題です。

もう一つの課題です。

私が赴任した当初、役員に選ばれていたTさんがいました。しかし、司式をしている様子から、認知症が進んでいることが分かりました。交読詩編で同じ個所を繰り返して読んだり、聖書箇所を間違えたりすることが多くなったからです。そして、昨年の秋頃から、自宅からバスで駅までは来れるのですが、その後の教会までの道順が分からなくなりました。礼拝には休まずに出席されていた方なのに、何の連絡もないまま休まれたので夫に確かめて分かったのです。家を出ても、教会に辿り着けなくなりました。そのため、日曜日の朝、教会学校が始まる前、私は駅まで行き、Tさんがバスを降りるのを待って尊厳を傷つけないように偶然出会ったように装い、一緒に教会に来ることが始まりました。認知症が進むにつれ、買い物と教会に来ること以外、Tさんの外出は限られ始めたことを夫から知らされています。

牧師としてこのような現実を抱えて今在るのですが、この時、『共助』誌第1号に載った、和田健彦さんが表紙絵に寄せた思いを書いた文章に引き付けられました。私は、教会とは、まさに彼が語る宿屋だと思うのです。少し省略して読んでみます。

 

善いサマリア人     和田健彦

善いサマリア人の譬えは聖書の話として子供のころから、親切な人による隣人愛を示す道徳的、教訓的な話のように思い親しんできた。そうした一方で私は、半死半生の男が担ぎこまれた宿屋の存在に、あたかも暗闇の中にうっすらと灯りをともして、いかにも人を待っている、なんとも言えない親しみをもつイメージを持っていた。(中略)

私は、油絵の勉強をするために、自然に恵まれた長野県の松本から東京に出て東京の空気にもなじめず滅入っていた頃、江戸川区にある工場地帯で困難な開拓伝道をされていた石居英一郎先生が、私を教会に居候のようにしておいてくださった。私はそこから学校に通いつつ、日曜や休日には日曜学校の子供たちと接したり、会堂や庭などの掃除をしながら、また教会の方々に話しかけられたりしながら、心を取り戻していった。やがてキリスト教や教会についてよく理解出来ないところを抱えながらも、これを追及しているといつまでも受洗できないと思い、教会に連なりながら考えていこうと受洗したことを思い出す。なぜか譬えにある宿屋の存在が、親しみをもって絵のように語りかけてくるのを覚えるが、それは私もまた前述の教会(西荒川教会)で介抱されていたことを思う。

善きサマリア人の譬えにある傷ついた旅人が運び込まれた宿屋、それは和田さんにとっては心を取り戻していった場所、教会であったと言うのです。私は、本当にそうなのだろうと思いました。教会、それは、「傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すこと」のない場所、そして「叫ばす、呼ばわらず、声を巷に響かせ」ることなく、確かな命の営みを新たに輝かせる場所なのだと思います。

共助会が負う「みくに運動」「熱河宣教」「ハンセン病との関わり」の問題は勿論のこと、同じ第1号の巻頭言に書かせていただいた女性達のことと共に、今、私が直面している教会員との関わり、「傷ついた葦を折ることなく」、「暗く消え入りそうな灯心を消すことのない」牧会こそ、共助会が、神様の御前にあって取り組むことを命ぜられていることだと思います。なぜなら、「みくに運動」や「熱河宣教」や「ハンセン病」と関わる原点は、私は、先ほど述べたMさんやTさんへの牧会によって鮮やかに示され、導かれるのだと思うからです。

祈ります。          (日本基督教団立川教会牧師)