「火の中をくぐり抜けて来た者のように」2017年度キリスト教共助会総会開会礼拝

 

■日 時:2017年4月29日(土)
■場 所:目白町教会
■主 題:2017年度キリスト教共助会総会開会礼拝
     「火の中をくぐり抜けて来た者のように」
■聖 書:コリントの信徒への手紙一 第3章10-17節
■讃美歌:21-579、21-505

10:わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。
11:イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。
12:この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、
13:おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その日はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。
14:だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、
15:燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。
16:あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
17:神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。

お早うございます。
今朝は、二つのことについてお話ししたいと思います。
一つは、立川教会に赴任して気づかされたこと、後一つは、共助会にとっても課題となっているハンセン病問題への宗教者の関わりの問題や、熱河宣教批判に対する応答への道筋のことです。初めに前者について触れたいと思います。

これまで、立川教会の礼拝メッセージの中で、私は繰り返して語っていることなのですが、昨年、クリスマス礼拝に続く夕礼拝を終え、奥の集会室から会堂を通って牧師館に戻る途中のことでした。突然、私の脳裏に、“神様が成せる御業”の言葉が浮かびました。不思議な体験でした。そのことについてお話しします。

昨年3月のイースターに赴任した立川教会は、1年間無牧の時代を経験した教会です。牧師がいない昨年1月から3月までの礼拝出席は、多い時で16名、少ない時で10名、平均は13名ほどでした。私が赴任した以降、4月はそれほど変わらなかったのですが、5月に入ってから礼拝出席者は少しずつ増え始め、夏も過ぎ、11月に入ると20名に近づき始めました。教会には、余程のことが無い限り、礼拝に必ず出席する人がいます。教会員に限りません、洗礼を受けていない方にもいます。その両方を合わせても7名が現実でした。私も入れて8名です。8名を基礎数とすると、それが倍にもなる中でクリスマス礼拝の朝を迎えました。

私は、礼拝が始まる10分前、10時20分になると、司式者と奏楽者と3人で別室で礼拝準備の祈りを始め、祈り終わると講壇の椅子に着席し、そのまま黙祷します。そして、司式者による「招きの言葉」の後の讃美歌が始まるまで祈りを続け、讃美歌が始まると目を開けるのです。ですから、講壇の椅子に着席してから目を開けるまでは会堂の中の動きは気配で感じつつも、何が起きているのかは分かりません。

その日も同じで、準備の祈りを終えた後、講壇に着席し、黙祷をしていました。しかし、何かいつもと違う気配なのです。礼拝開始の時間が近づけば、人の動きは無くなるのに、始まる時間になっても動きが収まらないのです。讃美歌を歌うため目を開けて驚きました。立川教会は、会堂には40名も入ればほぼいっぱいです。その会堂に、36名の方が礼拝に出席し、会堂はいっぱいでした。初めて出席された方が何人もいました。私の脳裏に閃いた“神様が成せる御業”とは、その経験が基になってのことです。

つまり、立川教会で教会員と一緒になって私が企画・立案し、実行して行こうとしている様々なことがら、それは、私の業でも、私達の業でもなく、神様の御業であることを知らされたのです。礼拝も、夕礼拝も、祈祷会も、中高生対象のジュニア礼拝も、中国語礼拝も、それら全ては神様の御業であり、私達はその御業に与るよう招かれている。招かれるに相応しい器として整えられること、それこそが務めであることを知らされたのです。

もちろん、教会の働きの一つひとつに取り組む時は、それぞれの力を尽くして準備します。その準備の中で最も大切なことは、神様の御業に与るに相応しい器として整えられることです。そして、御業に与らせていただく、用いていただくのです。

もはや、教会の活動の中心は私でも、教会員でもない。神様です。私たちは、神様が成そうとする御業に与る者なのです。立川教会に、神様は、一体どのような業を成そうされているのか、そのことを知り、その業に与るために己が身が整えられて行く。そのような祈りこそ、私の、そして立川教会に招かれた者の祈りです。

クリスマスの日の朝に続く夕礼拝を終えて、牧師室に戻る時に私の脳裏をよぎったのは、朝の礼拝風景でした。基礎数が10名にも満たない立川教会が、36名の出席者によっていっぱいになった事実。私の力によって、教会員の力によって、そのような風景が生れたのではありません。神様が成さった御業です。

その日以来、教会の中心は神様であり、私はその神様に仕える者に過ぎないと思うようになりました。教会員もそうでない者も、皆等しく、立川教会に神様が成さろうとしている御業に与るために招かれている、そう思うようになりました。

礼拝出席は、今では平均20名を超えています。受洗者が1名、転入会者が4名与えられ、さらに2名が転入の手続きに入り、5月に転会されます。

礼拝は数ではありません。ただ、一度でも立川教会を訪れた方一人ひとりを受け止めて行く時、礼拝を求める人が増えて行きました。教会としての力を尽しつつ、しかし、神様が成せる業に与らせていただくのです。その業に与る者に相応しく整えられて行く、聖霊の力によってです。それがこの1年の間に神様が私に教えて下さったことです。

 

次に、後者について、今考えていることを述べたいと思います。 先ほど司式者に読んでいただいたコリントの信徒への手紙一 第3章10節以下の御言葉は、今年度の立川教会の年間標語に関わる聖書箇所として掲げたものです。この箇所は、共助会が取り組もうとしているハンセン病や熱河宣教のことが心の中にあり、それとの関連で示された御言葉でした。私がこの御言葉の中で特に心に留まるのは、14、15節です。即ち、
14:だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、
15:燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。

たとえ自分の成せる業が「燃え尽きて」も、「損害は受け」るが、その人自身は「火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われ」ると言うパウロの言葉です。

キリスト教共助会の歴史は、例えて言えば、98年のそれぞれの時代に生きた先達や私たちが築き上げた建築物と言えると思います。その建築物の土台はイエス・キリストです。その土台の上に、先達も、私達も、多くの物を建てて来ました。かつての事で言えば、長島聖書学舎も、熱河宣教も建築物の一つです。京都共助会も松本共助会もその一つです。今で言えば、佐久聖書塾も、青森、新潟、東海、福島、九州、東京の各地の共助会も、紛れもなく建築途上の物の一つです。韓国共助会もそうです。それらの建築物は火に耐えうるのかどうか、かの日にそれは明らかにされるとパウロは言います。しかし、たとえそれが焼けてしまったとしても、そのことのために労苦した人は救われると言うのです。何と、慰めと希望に満ちた言葉でしょうか。

そのことと関わりつつ、この間問われている宗教者のハンセン病との取り組み、あるいは熱河宣教のことについて、私は次のように思います。そこで次に心に留まるのが、12節と13節です。
12:この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、
13:おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その日はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。

私は、かの日が火と共に現れる時、金のように残る仕事とは何かを思いました。そして、それこそ、良き訪れ、福音の言葉であると思うのです。あらゆる現実を突き破って、神様の御言葉が救いを求める人々に届き、その人を慰め、支え、希望を与え、生きる力と喜びとなった時、その仕事こそ金に例えられるのです。福音を携えて、救いを求める人を訪ね、福音を届けることこそ、神様が私たちに命ぜられていることだと思うのです。

福音を宣べ伝えることと、国策としての隔離政策との闘いは対立するものではなく、福音宣教がハンセン病に病む人々から闘いの力を奪ったと考えるのなら、私は肯くことは出来ません。

熱河宣教の事柄にしても同じ思いがあります。澤崎の熱河宣教は、救いを求める熱河の人々に福音を届ける仕事でした。そして、そこに生きる人々に、確かに慰めを与え、希望を与え、生きる力と喜びとなりました。澤崎は、神様が彼に命じられたことに従ったのです。その土地が“三光作戦”の舞台となった土地であることを理由に、福音を届けた仕事を歴史の負と考えることに与(くみ)することは出来ません。熱河の地に生きたどんなに小さな命であっても、神様はその命が救われることを喜ばれたのです。

国策としての“隔離政策”と言う大きな枠組み、あるいは又国策としての“三光作戦”と言う大きな枠組み、しかしその枠組みの中で行われるどんなに小さな業であっても、福音がそこに生きる人々に届けられることを神様は私達に命ぜられている。私はそう思います。

ただ、もし“隔離政策”を、“三光作戦”を、私達の先達が結果として肯定する役割を担って来たのだとすれば、そのことは検証しなければならないと思います。しかし、たとえそうであっても、福音が人々に届いた事実は揺るぎないものであり、罪の赦しとしてのイエス様の十字架への感謝と、復活による生きる希望と力が与えられたとすれば、その働きは火に耐えうる建築物、まさに金に相応しい仕事としての意味を持つのです。

 

私たちは神の神殿であり、神の霊が私たちの内に宿っています。

共助会は、神様の一方的な恵みによって、その土台にイエス・キリストが据えられ、その上に、先達らによって多くの建築物が建てられました。そして、それらの建築物は、全てがイエス・キリストを友に紹介することを目的として建てられたのです。キリスト教共助会98年の歴史は、その事実を刻んでいます。

私たちも又、先達らが歩んだ跡を尋ねつつ、イエス様の歩まれた道を追う者でありたいと思います。福音を携えて、救いを求める人々に届けるためにです。 祈りましょう。