「闇を恐れない」教育―今の時代、何が「平和」を生むのだろうか 〜安積 力也

【主に召される経験】

若き日、自分の卑小さを痛く知らされました。だから、一つの小さな場所に徹して生きたい。そうすれば少しはお役に立てる生涯を捧げられるかもしれない。そう思って、日本海に面した出来立ての小さな高校の現場教師になりました。でも結果としては、敬和学園高校(新潟市太夫浜)・日本聾話学校(町田市)・恵泉女学園中高(世田谷区)・基督教独立学園高校(山形県小国町)という、それぞれにユニークな使命を帯びた私立のキリスト教学校を四つも生きて、今年2015年3月、70歳を機に43年間の教員生活を終えました。私は一筋の「縦糸の人生」を目指したのに、どうやら神様は「横糸の人生」を下さったようです。

思いがけず「主に召される」経験。それは私にとっていつも、心身を注いで耐えぬき、愛しぬき、やっと少し居心地が良くなった場所、本当に大切になった他者が存在する場所から「出て行け」と命じられる経験でした。それも突然、夢想だにしなかった別の場所の人々からの命がけの招きに直面させられることを通して、です。しかもそれは、私のような者にはどう逆立ちしても不可能で非現実的な「責務」を負って来てほしいとの招きでした。どう逃げても、どう自己正当化できても、逃げ切れなかった。「この招き、この恵みは、抵抗できないものである。」ボンヘッファーの言葉(『主に従う』)が身に染みました。徹底的に無力にされる場へ。それは耐え難い不安にさいなまされる道行きでしたが、実は不思議なことに、心の一番深いところはいつも、にじみ出る感謝で溢れていたのです。神様は、こんな私を尚も「耐えて」くださり、「赦して」くださった。「主に召される」とは、赦されざる私が、尚も再び「赦される」ことでした。そしてその度に、エレミヤ書1章11節の言葉―エレミヤに臨んだ神様からの最初の問い―が、いつも心に蘇りました。「エレミヤよ、何が見えるか。」エレミヤは肉の目に映るままに答えます。「アーモンドの枝が見えます。」神様はこう応じられた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている。」そうなのか、誰に対しても、状況が良くても悪くても、わたしの肉の目に見えるものは「見える」と言い、見えないものは「見えない」と言えばいいのだ。私の肉の心が「すごい」と感じたら「すごい」と言い、「おかしい」と感じたら「おかしい」と言えばいいのだ。それなら、こんな私にも出来るかもしれない。これがいつも暗夜に灯る一点の道しるべとなりました。

1970年代の初頭以降のこの国の私学の公教育現場をここまで生きて、私の肉の目は、一体何を見たのか。肉の心は、何を感じ取ったのか。井戸の底から天を見上げるような視野と経験しか持ち合わせていない私ですが、それでもなぜか、内奥に刻印されて消えないものがあります。その幾つかをお話しすることで、主にある共助の友たち―特に教育の道を志す若き友たち―への拙い報告としたい。

 

【教えることの出来ないもの】

教師をやればやるほど、悔しいけれども認めざるを得なくなった「事実」が一つあります。

一番教えたいこと、一番分からせてあげたいことが、実は「教えることが出来ない」という本質を持っている、という事実です。

「科学的真理」は教えられます。頭(知性)で分かる真理だから。つまり「言葉」で教えることができる真理だからです。基本的な情報を伝え、生徒が分かっている所からていねいに論理を追って説明すれば、今日最先端の科学的・学問的知見にまで生徒を導くことは可能です。しかし「生きること」に関わる真理はどうでしょう。愛・思いやり・希望・感謝・信仰、あるいは勇気・自尊心などの「人格に関わる真理(人格的真理)」は、どんなに言葉を尽くして説明しても、教えられない。生徒は頭では分かっても、それを「生きる」ことは出来ません。それは「心で分かる」「体で分かる」しかない真理だからです。つまり、生徒自らがそれを経験する、あるいは生きてみることによってしか、分かってこない真理なのです。真に愛される経験をして、初めて子どもは愛を知ります。どんなに稚拙でも自分の考えや思いを尊重してもらえて、初めて子どもは、一人の他者を思いやるとはどういうことかを知ります。この意味で、人格的真理は教えることができない。ましてや「道徳」という名の教科で、人への愛や国への愛を、国家権力をバックに力ずくで教えることなど、本来的には不可能です。それは「心の教育」の名においてこの国の子ども達の頭と心と体を分断させ、鋳型化しロボット化することはできても、個の尊厳と自由を自覚した「人間」を育てることには、つながりようがありません。

 

【独立学園の礼拝】

 私がこの3月まで居りました基督教独立学園は、山形県と新潟県の県境にそびえる飯豊(いいで)連峰のふもと、山形県小国町叶水(かのうみず)地区にあります。冬の降雪は実に3メートルを超える。ブナの原生林が点在する清浄で広大な自然は、たとえようがなく美しく、そして厳しい。こんな場所で3年間、互いに助け合って労働し、牛・豚・鶏を飼い、米・野菜を育てて共に食事をつくり、山に登り、歌を歌い、自由と責任を委ねられた自治寮(男女別)で全員共同生活をする。これでも、全日制普通課程のカリキュラムを持つ、この国のれっきとした私立の高等学校です。大学受験のための授業は一切しない。なのに何故かほとんどが、最後は人生への高い志を持って大学等に進学していきます。生徒は全校で70余名。全国からやってくる。教職員は専任だけでも20人を超える。大半は校内の寮と職員住宅に住んで、生徒と生活を共にします。

この共同体が最も大切にしている時間は、毎日、全員が集まって持つ「礼拝」です。朝夕二回、必ず持ちます。日曜日は聖書講解を中心にした九十分の日曜礼拝を持つ。礼拝の担当は生徒と教職員の輪番制。担当者は、読みたい聖書を一ヶ所選んで読み、歌いたい賛美歌を一つ皆で歌った後、「感話」を読みます。今の自分の心の奥にうごめいている何ごとかの想いをできるだけ誤魔化さずに「言語化」して、全員の前で話すのです。生徒は年間4~5回、礼拝担当が回ってくるので、3年間で十数回、全校に向かって内面の自己開示をする機会が備えられています。聞く側から言えば、毎日の礼拝ごとに、先輩、同輩、後輩、教職員が、心の奥で何を感じたり考えたり願ったりしているのか、直接聞くことが出来るのです。他者の真実を聞く経験は、自己の内に眠る真実を引き出さずにはおきません。「こんなことを語ってもいいのか、こんなことを言っても、皆はこんなに真剣に聞いてくれるのか」。新入生は、教師や先輩がしぼり出すように語る感話を聴いて、衝撃を受けながら、自分も今まで巧妙に見ないようにしてきた心の奥にある闇を見つめ、語ろうとする勇気を貰うのです。こうした連鎖が、独立学園に息づく、てらいのない自由さと内面深くを問う独特の精神風土を形作っているように思います。

 

【独立学園生の感話から】

中学卒業の間際にあの東北大震災(2011年3月11日)を経験し、直接の当事者ではなかったものの深い衝撃を心に抱えたまま、その四月に独立学園に入学してきた新入生の一人が、初めての礼拝担当で短い感話を述べました。

「雪のように白い自分になりたくて学園に来たのに、見えてくるのは、黒い心のシミばかり。正直、辛い。今の私は、ラムネ瓶の中のビー玉のよう。いつか、自分で造ってしまったこの分厚いガラス瓶を破って、外に出たい。」

外見には、ちょっとお茶目な明るい女の子です。その子が、今の自分を「ラムネ瓶の中のビー玉」のようだと言ったのです。これ以上傷つかないように、人に合わせていつの間にか作ってしまった「分厚いガラス瓶」。でも、いつの日かこれを内側から破って、「本当の私」を解放したい、と切望しています。この感話を聴いて、まるで自分を言い当てられたように感じる子や若者が、今日、この国にどんなに多いことか。否、われわれ大人もそうではないでしょうか。

今、この国の子ども達、青年達が、異様に素直になっています。特に「3.11」と「フクシマ」の出来事以降、顕著になった。言われたことはそのまま疑問も呈せずに受け入れ、従う素直さ。親や教師から見れば、大変扱いやすい「よい子」たちです。でも、私にはそれが〝異様に〟見える。異様なまでの「従順さ」です。一人ひとりをよく見れば分かる。本来開いていなければならない大事な心の感受性が、閉じてしまっている。閉じきってしまっている。その奥に「生身の私」が封印されている。「私」を表出できないまま大人になろうとしている子どもや若者たち。つまりこの従順さは、〝「私」の無い従順さ〟なのです。昨今のこの国の国家主義的管理教育の見事なまでの成果と言っていい。「道徳」の教科化がこれに追い討ちをかけています。「私」の無い「従順の倫理」の蔓延(まんえん)。「滅私奉公」の倫理の復権。これこそファシズムの土壌そのものです。

今、尋常でなく素直になった子ども達の「閉じた心」の奥から、悲痛な呻き声が聞こえてきます。「3.11」と「フクシマ」以降、その呻きの質は更に深まった。独立学園生はそれを自ら直視して、言葉に紡いでいきます。先の新入生が二回目の礼拝担当で述べた感話。

「私の中には砂時計があります。気がついたら、逆さにされていました。砂は下へ下へと落ちていきます。落ちた砂は、二度と戻りません。今も砂は、下へ下へと落ちています。」こう述べた後、一言、かみ締めるように言いました。「今日という日を、生きたい。」

私はボディーブローを食らったような衝撃を受けました。これを、私のような、もう死へのカウントダウンが始まっている年齢の者が言うのなら分かります。でもこの子はまだ一五歳です。なのに、今日一日生きることは、必ず来る「自分の死の日」に一日近づくことだと感じているのです。「生きる時間感覚」が逆転してしまっている。「三・一一」の大津波がもたらした現実と福島原発の崩落。あの時誰もが覚えた「己が死のリアリティー」を、われわれ大人の大半はもう忘れてしまったかもしれないけれど、子ども達は違うのです。感性のナイーブな子であればあるほど、「明日来るかもしれない自分の死」へのリアリティー感覚は、今も尚、心底で疼きつづけ重く堆積していると、私には思われてなりません。

「3.11」以降、「死にたい」という代わりに「消えたい」という子が、確実に増えました。いまだに大人は「生き残れるだろうか」というサバイバルの不安に汲々としているのに、この子たちの不安は、もはや「生きていていいのか」という「実存すること」そのものへの懐疑にまで達している。しかも彼らは、この「心の闇」を直視する意味と勇気を、誰からも教えられていない。むしろ、身近にいる大人(親や教師)の姿から、この闇を巧妙に回避し忘れる術だけを、必死で学び取っている。私には、そう見えます。

この「逆さにされた砂時計」の感話は、なおも人間教育(個としての「私」になる教育)への希望を捨てない教師である私に、逃げ場のない「問い」を突きつけています。他者への不信、テロと巨大地震が頻発するこの時代、戦争への準備に暴走するこの国の只中をこれから生きねばならないこの子たちに、一体お前は、いかなる「生きる希望」を伝えようとするのか。死なずに、消えずに、なおも固有の「私」を生きぬこうとする意欲と力を、お前は、どのようにして喚起せしめようとするのか。

 

【問う教育】

私は、元来は社会科の教師ですが、キリスト教学校の校長の任を帯びたが故に、恵泉と独立学園で高校の「聖書」の授業を担当する機会に恵まれました。聖書の生きた真理は「教えること」が出来ません。出会うしかない。そうであるならば、どうしたら出会うように準備された心を生徒の内に掘り起こすことができるのか。本来は、真の「私」になることを求めてやまない多感な高校時代です。心の底には、若い魂が自分から探求し応答したくなるような「自己への問い」が、きっとある。それは如何なる問いなのか。授業でいくつも試行しました。生徒たちの実に率直で厳しい応答(拒絶や抵抗から驚くほど深い内面的応答まで)を受けて、最初は実にしんどかった。そしてやっと、今を生きる生徒が自ら本気で取り組む、一つの「根源的な問い」に出会いました。それは、こういう「自問」です。「私は、本当のところ、何を願っている人間なのか?」。親の願いではない。先生が求める願いでもない。国家や世の中が要求する願いでもない。仲間が自分に求めている願いですらない。他者の目が届かない内奥で、本当のところ私は、私自身に対して何を願っているのか、という問いです。

私は4月の最初の「聖書」授業で、この問いを提示し、聖句を一つ添えました。詩編37篇4節。「主に自らをゆだねよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」ここでいう「心の願い」とは、ヘブライ語の語義に照らせば、心の底の底の「どん底の願い」という意味のようです。飢え渇く魂の希求、とも訳せるような言葉。私はこれを心の「最深欲求」(心の最も深いところにある欲求)と名づけて、この詩編の祈り手の信仰と確信を説明し、こう問題提起しました。

この「最深欲求」の内容は一人ひとり違う。他人に見つけてもらうことも出来ない。自分と向き合って探すしかない。辛くても心の奥の暗闇と向き合って、タマネギの皮を一枚一枚剥ぐように、封印された自分の思いや願いを探っていくしかない。それはまるで心の井戸掘りをするような作業だ。途中で、臭いゴミ溜めがある。砂地がある。瓦礫帯もある。でもそのどん底に、必ず清らかな地下水脈が流れている。神の都から流れ来るいのちの清水。そのへりに降り立てば、自分の本当の願いが分かってくる。借り物でない、私の固有の真実な願い。本当はこんな人間になりたい。こんな人間になれるのなら、どんな辛いことだって耐える。これが出来るようになりたい、そのためならどんな血の出るような練習だってやる。このことを知りたい、それが分かるためならどんな嫌いな勉強だってやる。そう言える程、自分の心が惹き付けられてやまないものを、皆、必ず持っているのだよ。これをどこまで深く探れるか、そしてその願いに立って、どこまで学園で「生きて」みられるか。生活の凡てを使って、探求し、試行して欲しい。

本来「問い」というものは、一つの物の見方(視点)です。問われる者にとっては、知らなかった「世界」があることに気づかされ、そこへの入り口を指し示されることです。「自問」とは、勇気をもってその扉を自ら開くことです。私は、一回ごとの授業で、一つの聖句に添えて、新たな問いを一つずつ提示していきました。きわめて実存的な問い。自分は何を愛し、何を憎み、何を恐れ、何を信じ、何を待っている人間なのか。そして、自分にとって「他者」とは何なのか。「神」とは何なのか。こうして自分の生き様の根底を突かれる問いを提示され、それを追及するための多様な視点を示されていく中で、生徒の多くは痛烈に気づかざるをえなくなった。「いかに自分が、真の意味では自分と向き合ってこなかったか……。」

これを自覚した生徒は、ほぼ例外なく尋常でない本気さで、心の暗闇にあるものの正体を見つめ出しました。それを言葉に紡いで、任意提出の「応答カード」で私にぶつけてくる。更には、礼拝の「感話」で、内面にある苦悩を全校生に向かって大胆に告白し、自分を内から解き放つように変貌していきました。ひとたび自らの内奥に疼く真の願いを知った生徒は、勉強するなと言っても猛然と勉強しだします。何事か新しいことを黙々とし始めます。打てば響く。深く打てば深く響く。教師が自らの深みにある「自分への問い」をひっさげて本気で「問え」ば、魂のどん底からの響き(応答)が返ってきました。高校生という年代が持つ「本質感覚」の鋭敏さ、「自己吟味力」の純度の深さ。それは、私よりよっぽど先を行っていました。

 

【卒業所感から】

独立学園の卒業式には「卒業証書授与」がありません。それは、学園を去る最後に校長室に立ち寄って、貰っていくだけでいいのです。学園の卒業式のハイライトは何か。「卒業所感」というものを、全校の生徒教職員と保護者の前で述べることです。卒業生全員が一人ひとり講壇に立って述べます。卒業に際して本当に思うことを語る、言わば最後の感話です。

その一つを紹介します。他者不信と学園不信に苦しみ続け、三年間心の深いところを閉ざしたまま卒業に至った(と見えた)男子の生徒。彼は、講壇に立って、しばらく躊躇していました。そしてまずこう言った。「母さん、私はあなたに感謝しています。だから、この所感を聞いても、自分を責めないでください」。ご両親は、会場においでになっています。そして語りだした。「皆さんにはトラウマというものがありますか。心の底から絶望して、人間不信になって、生きることに疲れるような。私にはあります。」こう言って一つの事実を語ります。「中学三年の時、些細なことで親とケンカしました。そこで、ぼくが悪いのですが、親を怒らせるようなことを言って、我を忘れたお母さんに首を絞められたことがあります。母にです。その時、この上ない絶望と闇が、私の心を覆いました。私は人間不信になりました。もう人なんか信じないと決意しました。暗くて寂しい決意です。」そしてこう続けました。「学園に入学してからもそれは続きました。そのせいで、密度の濃い人間関係が苦でした。何度、学園を辞めようと思ったことか。時間の経過という大きな力でさえ、心の壁の根本を崩すことはできませんでした」。そしてその後です。彼は「しかし」と言ったのです。「しかし、三年生の最後、この卒業の節目に至って、その厚い壁はもろくも崩れ去りました」。そして、驚くことに聖書の授業に言及したのです。独立学園は、普通の高校のように大学受験のために三年の一月以降を休みにするような事はしませんから、三年生も、卒業式の直前まで、ちゃんと授業をします。その卒業式前の「三年最後の聖書の時間」の時のことを彼は取り上げたのです。「三年の最後の聖書の時間に配られたレジュメに、一つの聖句を見つけました。『主に自らをゆだねよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。』詩編三七篇四節です。」私は、既に四月最初の授業からこの聖句を掲げて、自分の最深欲求は何かと問題提起をしておいた訳ですし、その後も何度も授業で言及してきたのです。が、彼は、全然聞いていなかったようです。でもやはり最後まで諦めずにやるべきですね。私はこの最後の授業で駄目押しするように、もう一度、この詩編聖句に言及したのです。そしてこの時初めて、この聖句に彼の目が止まった。そして彼は本気で考えた。私の最深欲求は何なのか……と。そして、こう言いました。「私の心の願い、最深欲求とは何なのか。それは、愛されたい、そして、その愛を信じて、自分からも人を愛したい、というものでした。その時に、希望が見えました。」と。この言葉が持つ重さに、私は圧倒されました。彼は続けます、「人は極度の絶望に突き落とされたとしても、心の底では希望を捨てていません。私の心は愛を求めていました」と。そして所感の最後でこう語ります。「私の心は今、とても満たされています。これほどの平安を今まで感じたことはありません。苦しみも絶望も、全ては今の私につながっています。私にそれらのうちの一つでもなければ、今の私はない。今までのことを全て胸に納め、感謝しつつこの学園を去れることを、誇りに思います」。これが高校三年生、一八歳の青年の言葉なのです。希望、平安、感謝、誇り。全て、彼の内側から出た言葉です。私の生徒理解は何と浅はかだったのだろう、と思います。彼は最後にこう言って卒業所感を終えました。「あの時は、絶望しかなかったけれど、今は逆に、感謝しかありません。今、僕は、全てを愛せる気がします。みんなを愛しています。お父さんも、お母さんも、愛しています。ありがとうございました。」

 他者不信と戦争への予感が覆う闇の時代を前にして、一体、いかなる「教育の業」が、この国の若い魂の内奥に、屈することのない希望と平和の「礎」を生み出し得るのか。自らの不明と非力を思い知らされるばかりですが、このような生徒たちの応答と変貌の姿から、私は、平和を創り出す者を生み出す「人間教育」への、尽きることのない示唆と希望を与えられてきた教師であります。

 

【これは主のなさる業】

 私の前で、「もう、死にたい」と呻いたまま、心を硬く閉ざす生徒。そんな生徒を前にして、なす術もなく、耐えがたい無力さを覚える度に、心に突き上げてくる〝一つの思い〟がありました。「これは主のなさる業!」。遠くから響く警鐘のように、それは私の高慢な教師意識を撃ち、ハッとさせられて、私を〝あの自覚〟に立ち帰らせるのです。「これは、自分の業、自分の企画ではなくて、派遣である。……イエスのご存じでないことは、彼らの身に何も起こらない。」(ボンヘッファー『主に従う』)。そうだ、これは「私の業」ではなく「主のなさる業」だった。もう祈ることしか出来ないけれど、信じて、逃げずにこの場に居よう。そうして、後になって振り返ると分かるのですが、不思議なことに、通れるはずがなかったところに一筋の道が出来ている。まるで、水の上の一筋の光の道のように。そんな経験を何度も与えられて、私は、教師として何とかここまで歩むことができたのだと思います。

多分、主に寄り頼むしかない生を歩む者にとって、「現実」は一つではない。二つある。人間が作りだす現実と、神がつくりたもう現実。この二つが拮抗し、並存しているのが、主に寄り頼む者にとっての、本当の「事態」です。

「わたしがあなたに与える命令は平和。

あなたを支配するものは恵みの業」(イザヤ書六〇章十七b)

戦争ではなく平和を命令してくださる「平和の主」。暴力的権力の支配ではなく恵みの御業の支配を約束してくださる「歴史の主」。この主に召され、赦されて、ここまで用いていただけたことを、なんと感謝していいのか分かりません。現場を離れたこれからも、このご命令とお約束の下に服して、せめて、今まで出会った若い世代の教師や生徒たち一人ひとりへの祈りだけは、尽くしてまいりたいと思います。