平和の福音  李 相勁(イサンギョン)

【京阪神修養会開会礼拝】より

主の平和と恵みがありますようにお祈りいたします。

わたしは、共助会に入会させていただき、主にある交わりと、 雑誌『共助』などを通して、教えられ多くの恵みを示されて います。また、主にある友情による祈りに支えられて、励まされています。

わたしは、いま、韓国での生活より日本での生活のほうが 長くなりました。また、教会に導かれて、キリスト者として の歩みも、それ以前の人生より長くなりました。人生の歩みを振り返ってみると、節目節目、自分が判断し、決めていたと思われることにも、出会いがあり、助言を受けて、導かれ ていたと言わざるをえません。わたしが、教会に導かれ、キリスト者となり、日本へ留学、神学校、神学部での学び、牧師となり教会の牧会へ導かれたのも、同じことが言えます。

わたしが教会に導かれたきっかけは、友の誘いでした。導いてくれた友達はじめ、教会員の優しさ、思いやりなどが、 自分が教会につながる大きなきっかけになったと思います。 教会の雰囲気、利害関係を超えた、暖かさが伝わりました。 また、それぞれの教会員の生き方、志に感銘を受けました。

教会の多くの方が、朝早く、教会で祈り、日々奉仕される姿を見て、いろいろ考えさせられました。わたしは、キリスト教についても、聖書のこともあまり知りませんでしたが、人々の幸せのために祈りを合わせる教会員の姿や働きをみて、教会には、信仰には、何かあるにちがいないと思い、キリスト教に引かれるものを感じました。当時、わたしにとって、神は遠くにいる存在でしたが、隣に、近くにいるキリスト者を通して、神の愛が伝わり、その愛を少しずつ、感じるようになったと思います。神さまは人を通して、人を用いて働き、愛を示してくださると思うようになりました。教会生活は、キリスト教とはなじみがないわたしにとって、礼拝にも、祈りにも戸惑いがありましたが、少しずつ、イエスの教え、福音のメッ セージが、時を超えて自分に語られていて、み言葉に励まさ れるという思いを抱くようになりました。今の社会で、競争 に勝ち抜くこと、強さだけが求められ、しんどい思いをしている自分に、「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」、「安息日は、人のために定められた。人が安息日の ためにあるのではない」、「最も小さい者の一人にしたのは、 わたしにしてくれたことなのである」、「力は弱さの中でこそ 十分に発揮されるのだ」などの聖書のみ言葉は、神にかたどって創造されたすべての人は、比較し、比較される存在ではなく、 一人ひとりがかけがえのない大切な存在で、尊厳が与えられ、 守られているという、良き知らせ、まさに、喜びの福音でした。 そしてどのような時も、ありのままで、自分らしく生きるこ とへの望みが与えられ、主にある平安にあずかり、信仰の道を歩んでいく決心をいたしました。

わたしを日本へ導いたのは、当時、教会の青年会担当の牧師との出会いがありました。牧師は、聖書や人生についての わたしの質問と相談を、親身になって受けとめて、祈ってくださいました。その優しさと福音に対する熱い思いが伝わり、 感銘を受けました。あるときなどは、教会で徹夜しながら、 一緒に話し合ったこともありました。その牧師が日本へ宣教師として行くことになりました。わたしは、外国に行ったことがなかったのですが、牧師が宣教活動されている現 場を訪ねたいという思いが 高まり、京都の牧師を訪問 しました。それがわたしにとって初めての海外であ り、日本との出会いでありました。その後、日本への関心を抱くようになり、日 本での日本語学校、神学校、神学部での学びの機会が与 えられ、牧師の道へと導かれました。神学部での学びを通して、在日コリアンの歴史、教会の取り組み、解 放の福音の大切さなどを教えられました。徐々に在日コリアン、韓日関係における、教会の働きに関わっていきたいという思いが生まれました。わたしは、いま、日本までの 歩みを振り返ってみると、さまざまな出会いと支えにより、 導かれていたことを改めて思い起こし、自分の思いをはるか に超える、主の導きを感じています。

日本での生活のなかで、嬉しいことも、しんどいこともいろいろありますが、今日はしんどいことのひとつを紹介させ ていただきます。わたしが、日本で生活する上で、課せられ るもののひとつは、いわゆる「在留カード」を常時携帯しなければならないということです。日々の生活のなかで、なにか、 忘れてはならないものがあるというのは、大きな負担であり、 しんどいことです。

京都教区が関わっている「外国人住民基本法の制定を求め る全国キリスト教連絡協議会」(外キ協)では、「外国人が暮らしやすい社会は、日本人も暮らしやすい」社会であると、訴えています。

緊張し、不安の中で送る自分の生活の中から、社会のなかで、 小さくされた方々に寄り添い、共感し、その課題に取り組む大切さ、多様性の豊かさのなかで、共に生きる生活のために連帯する必要性に気づかされました。それは現在、日本の社会のなかの、マイノリティとしての教会の立ち位置、方向性 を確認し合い、キリスト者の担う宣教方針にもつながると思います。日本のキリスト者は、韓国の民主化運動を他方面から支援し、痛み、苦しみを共有し、共に歩んできました。その働きの中で、日本にあるさまざまに山積している課題にも気づいてきたと言われています。

小アジアの商業都市といわれるエフェソは、多くの人々が 集うところでした。そのエフェソでは互いの違いによる葛藤 や対立などがありましたが、信仰共同体においてもそのような課題を抱えていたと思われます。

イエス・キリストは、隔ての壁である、考え方や体制を乗り越えて、2つのものを1つにする平和の福音を告げ知らせ、 互いに認め合い、支え合い、多様性のなかで共に生きる大切さと豊かさを示してくださいました。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。2つのも のを1つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取 り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において1人の新しい人に造り 上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を1つの体とし て神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、 近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」 (エフェソの信徒への手紙2・14~17)

「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、 聖なる民に属する者、神の家族であり、」(19節)

かなめ石であるイエス・キリストにおいて、建物全体が組み合わされて成長し、共に建てられていく、すべての人々は 平和の福音にあずかり、神の家族であることに励まされます。

今回の「基督教共助会京阪神修養会」の主題は「真理は隣人によって証しされる」です。案内文には、「もう一度、初心に帰っ て、韓日の〝歴史に生きるキリスト者〟同志が出会い直そうと考えます。この真実な出会いと主にある友情、そして福音の真理(ガラテヤ書2章5節)が、この時代にあって『神の国 の真理』を指し示している証しとなることを信じるからです」 と記されています。〝歴史に生きるキリスト者〟として、共に祈りを合わせ、支え合って、いっしょに歩んでいきたいと祈っています。

共助会員有志による声明

韓国の共助会の友たちへ(抜粋)

私たちはこれらの良き先達たちの歩みにならい、私たちの 罪責を具体的に直視し続け、福音による日本の民主・平和・ 人権のために努力し、韓国の民主・平和・人権、さらに南北統一のための友たちの努力に祈りを合わせたく思います。またさらに、いつの日か両国をこえて、アジアや世界 の主にある真の民主・平和・人権のために、手をたずさえ て仕える日の来たることを心から願います。

(1992年4月1日  韓日基督教共助会修練会 日本人参加者 36名)

20180407