わたしは復活であり、命である 片柳 榮一

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聖書研究 ヨハネによる福音書 第六回
ヨハネ福音書一  1章1- 44節

ヨハネ福音書におけるラザロの復活の記事は、印象深く、物語としても詳細である。そしてこの出来事がこの書の中で置かれている位置も、深く暗示的である。ここでイエス(及びその弟子達)と関わる人物は、ラザロというイエスの「愛しておられる」(3節)友とその姉妹であるマルタとマリアである。私達はラザロという友をイエスが持っていたという話は、この福音書以外では知らされていない(ある注解者は、ルカ一六19―31の乞食ラザロの話の中で、仮定として述べられた復活の話が影響しているとの興味深い説を述べている。Ch. K. Barrett, Das Evangelium nach Johanes,Berlin 1990, S. 387)。しかしその姉妹達の名前には馴染がある。ルカ一〇章38― 42節では、或る村にマルタとマリアという名の二人の姉妹がイエスを迎えた話がある。そしてイエスの世話に忙しいマルタと主の言葉に耳を傾ける妹のマリアが対比され、私達の心にこの姉妹の名は印象深く刻まれている。そしてヨハネ福音書は妹のマリアを紹介し、この女が「主に香油を塗り、髪の毛で主の足を拭った女である」(2節)としている。この話Van Limburg brothers 1375 – 1416 Announcement to the Shepherds―は、この先一二章で語られるのであるが、いわばここでそれを予告している。ルカ一〇章ではこの姉妹の住む村の名は記されていなかったが、ヨハネではベタニアであるとされている。マルコ一四章3―9節では、べタニアで、一人の無名の女が高価な香油を、死を直前にしたイエスの頭に注いだと記されており、ヨハネ福音書記者はこの女をマリアと結びつけている。その結果、場所も当然べタニアとなったのであろう。しかし何故ヨハネ福音書記者は、香油を注いだ女をマリアと結びつけたのか。マルコ、マタイでは、受難直前の香油注ぎが、葬りの準備としてイエスに受け取られたとされている。それに対してルカはもっと以前の話として、七章36―50節でこの話が語られている。この女は「罪深い女」と言われ、この行為は罪の赦しへの感謝の徴とされている。ヨハネ記者は、一二章で、この香油塗りの話を語り、マルコと同様、葬りの準備と捉えている。しかしヨハネ福音書記者はルカ福音書の一〇章をも念頭において考えているように思われる。それは、イエスの来訪を告げられてマルタは迎えに行ったが、「マリアは家の中に座っていた」(20節)とわざわざ強調しているところにも、暗示されているように思われる。主の言葉に深く耳を傾ける内省的なマリアが、主の葬りの予めの備えをするのに極めて相応しいと考え、兄を死より救ったことへの感謝の行為としたとするのは読み込みすぎであろうか。

この姉妹達がラザロの病気をイエスに知らせる。そこには明らかにこの病をイエスの力によって癒して欲しいとの願いが込められていよう。しかしイエスはそれにすぐには応じない。その理由を述べるイエスの言葉が、新共同訳では「この病気は死で終わるものではない」(4節)と訳され、口語訳では「この病は死ぬほどのものではない」となっているが、文語訳の「この病は死に至らず」が、死への方向性を明瞭に示すので、最も適当であるように思われる。

二日後にこの要請にこたえて、ユダヤに行こうとイエスは、弟子達を促す。これに答える弟子たちの言葉は、イエスが置かれた状況を明らかにしている。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」(8節)。今や、イエスにとって、ユダヤの地、その中心としてのエルサレムは、まさに死をもたらす場所であり、そこに向かうことは、死に至る道を歩むことである。ヨハネ福音書記者は、死を直前にし、死を覚悟しているイエスが示す「栄光」の一端として、このラザロの物語を配置している。ここであらためて最初に病の知らせが来たときのイエスの言葉が響いてくる。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」(4節)。私達は九章でも生まれつきの盲人のいわば病を、イエスが、神の業がこの人に現れるためと言われたのを聞いている。しかしここではラザロの病が神の栄光のためと言われているだけでなく、神の子がそれによって栄光を受けるためであるとされている。表面的には、この病を機縁として奇跡がなされ、そこに主の力が示される機会が提供されることを述べているだけのように見える。しかしこの福音書には、「栄光」という言葉によって、イエスの十字架の死を暗示する使い方がある。典型的なのは、一二章の23節で「人の子が栄光を受ける時が来た」と述べて、一粒の麦が死ねば、多くの実を結ぶと語るところや、最後の夜ユダが出て行った後、「今や、人の子は栄光を受けた」(一三31)と語るところである。するとここでも、ラザロへの奇跡が、決定的にユダヤの宗教指導者たちを、イエスの殺害へと駆り立てる機縁となったことを示唆していると考えることもできよう。ラザロの復活の物語は、一方でイエスの神的な力の鮮明な顕現物語であると同時に、イエスを決定的に十字架の死に追いやる事件としても記者は理解しているのである。そしてラザロの病は死に至るものではないという言葉も、或る別の意味をもってくる。ラザロは、死に至らないが、主イエスを死に至らせるものなのである。

そしてこの死への道行を共にしようとしてディディモと呼ばれるトマスが勇ましく「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(16節)と叫ぶのも、印象的である。わたしたちは、このトマスを、復活の主を頑強に拒否しようとした弟子としてよく知っているからである。

べタニアを訪れたイエスを迎えるのはマルタである。先にも触れたようにマリアは、家に籠っている。行動的マルタと内省的なマリアについて語るルカ一〇章の構図そのままである。そしてこのラザロ物語における二人のイエスへの関わりには、ルカが描くマルタとマリアの面影がうっすらと見えるようである。この出来事において主役を為しているのはマルタである。この物語の核心であると思われるイエスとの復活をめぐる対話(21―26節)の相手はマルタである。マルタは遅れてきたイエスを非難する如く言う。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21節)。マルタはイエスが病を癒す力を備えた方であると信じており、それ故早く来てくれるように使いをやったのである。その願いはかなわなかった。イエスがすぐに来なかったからである。イエスは、そのような世の幸いを求める願いにすぐに応じる、安直な救い主ではない。マルタはそのようなイエスの拒絶をも飲み込んで「しかしあなたが神にお願いになることは何でも神は叶えてくださると、わたしは今でも承知しています」(22節)と言う。「今でも」以下の言葉に、単なる願望成就への執着を乗り越え、イエスの心の思いに従おうとする信仰を垣間見ることが出来よう。

マルタは「あなたの兄弟は復活する」とのイエスの言葉を終りの日の復活と理解して、それは知っていると言う。わたしたちの常識とはかけ離れているが、福音書記者およびその読者にとってこのマルタの反応は常識外れのものではなかったであろう。或いは私たちにとって、「人はいずれ死ぬ」というのが、常識であるのと同じくらい常識的な承知だったのかもしれない。しかし次のイエスの言葉は、わたしたちの常識を叩き破る異常さを持っている。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は、だれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」( 25節)。福音書記者は、この言葉がここに置かれて持っている意味の重要さを十分承知している。イエスは突然対話を中断するかのように、この言葉を語る。この後の展開を見据えて、マルタとの会話を継続しようとするのであれば、マルタの誤解を解いて、「いや、私はこれからあなたの兄弟をすぐさま復活させよう」と言うべきところである。この言葉の異常さは、「わたしは復活である」という場合の復活が、この後に起こるラザロの復活とは意味、あるいは次元を異にしていることに由来する。ラザロは死から復活したとしても、やがてまた「死に至る」のである。ここで「わたしは復活である」と語られるのは、そのような復活ではない。もはや「死に至る」ことなく、決定的に「死」を後にしている「生」であり、はるか先の終りの日の復活ではなく、現に眼の前に立つ一人の人のうちに存する命がそれであるという。そしてこの言葉を語る者を信じる人は、たとえ死んでも生きるという。マルタが応じる言葉は、イエスの問いとは微妙にずれている。しかし問いの異常な重みをこらえた返答であるのは感じられる。「はい、主よ、あなたが世にこられるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」( 27節)。マルタは自分の理解できる範囲で必死に自らの救い主への信仰を告白している。「わたしは復活であり、命である」と深みから語られる主を前にしては、私たちの告白も、そのようなちぐはぐさを免れているとは決して言えない。

家に籠っていたマリアは、マルタからイエスの来訪を告げられ、家を出てイエスのもとにきて、「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょう」という。この言葉は、先にマルタがイエスに言った言葉の前半とまったく同じである。そして後半の信仰告白的部分は省かれている。マリアではなくマルタがこの復活の物語の核心に立っていることを改めて思わされる。マリアは泣き伏す。彼女は、死に直面した人間の苦悩に打ちひしがれた側面を、もっぱら表現しているようである。イエスはこれを見て「憤りを覚え、興奮して言われた。『どこに葬ったのか』」(33節、新共同訳)と言う。兄弟の死に打ちのめされている一人の人間に、深く心を揺り動かされてイエスは「涙を流された」( 35節)と記者は記す。神の子としてのイエスの姿が強調されてきたヨハネ福音書の中で、四章のサマリアの異郷での疲れ(四6)と並んでイエスの人間的側面が印象的に記された箇所である。

墓にやって来て石をとりのけるように命じて、イエスは天を仰いで祈る。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いを何時も聞いてくださることを、わたしは知っています」(41― 42節)。この祈りは尋常なものではない。願いがすでにかなったものとして感謝がなされているだけではなく、自分の願いはいつも聞かれることを知っているという。神の子としてのわたしの願いは、いつも父の思いと一つであるとの強い表白である。この祈りは先に見た22節のマルタの言葉を思い起こさせる。ヨハネ福音書記者は、マルタの22節の告白をイエスに響き合うものとして深く肯定していることが推測される。さらに祈りは続く。「しかしわたしがこういうのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったということを彼らに信じさせるためです」(42節)。ここではラザロの復活の出来事が、単に姉妹たちの悲しみを癒すためではなく、イエスが神から遣わされ者であることが明らかにされるためであるという。神の子であることの明白な証のためであるという。「『ラザロ、出てきなさい』と大声で叫ばれた」(43節)。大声で、というのも、この出来事が人々の面前で明らかになることに連なる。この出来事は、その場に居合わせたユダヤ人の多くを信じさせることになる。ユダヤの宗教指導者は困惑し「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そしてローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」(48節)と語り合い、イエス殺害の決意を固めてゆくことになる。一二章では、ラザロも人々の注目の的になったので、「ラザロをも殺そうと謀った」(7節)と述べる。記者はラザロの出来事が、イエスを死に追いやる決定的な要因になったと、この事件の位置づけをするのである。

ヨハネ福音書記者の「しるし」としての奇跡を見る目は複雑である。群衆は肉的な願望成就を求めて奇跡に群がる。五千人の給食は、群衆がイエスを王にしようとする動きを引き起こす(四15)。最大の奇跡としてのラザロの「復活」の出来事は、一方で、先のイエスの祈り(一二42― 43)にあるように、イエスが神の子であるとの確信を多くの人々に与えるが、そのために指導者をして、イエス殺害へ駆り立てることになる。神の子としての証をなすイエスの歩みは、十字架へと必然的に導かれていくことを記者は示そうとしているようである。

このラザロの復活の出来事は、確かに鮮やかな力強い奇跡の出来事ではあるが、しかし福音書記者は或る複雑な眼差しで見つめている。人々にイエスが神から遣わされたことを示す力ある「証」であるとする一方、この出来事が、イエスを決定的に十字架の死に追いやる機縁となっていることを繰り返し強調している。この記者は、死者をよみがえらせるという最大の奇跡のうちにも、不信に起因する「死に至る道」を見ている。エルサレムを真近にしたこの村の小道は、生と死が交錯するたそがれの道である。ここで私たちは改めてマルタとの「復活」をめぐるイエスの対話が、この物語の中で占める場の不思議な〝静けさ〟を思わせられる。これから起こるラザロの一時的な復活とは別の「復活の命」が、いわば物語を中断して突然告げられている。私たちはマルタと共に、鄙びた村の人通りなき小道で、語り掛けられている。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と。復活が死を前提とし、死からの、死を克服しての命であるとすれば、ラザロの復活は、「しるし」に過ぎない。ラザロはやがてまた死んだのであり、本当の死の克服とは言えない。そのような死の波間に漂う「しるし」とは異なる「復活」の命が、わたしであると、不思議に呼び招く者がある。そして私たちは時の隔たりを越えて、深い静けさの中でその前に立たされていることを思う。