和解はJourney(旅路) 荒川 朋子

5月末に京都、滋賀で開催された「第五回北東アジア・キリスト者和解フォーラム」に参加する機会を与えられた。これは2014年にアメリカのデューク大学神学部和解センターとメノナイト中央委員会によって始められたフォーラムで、北東アジアの3つの国と二つの地域、つまり日本、韓国、中国、台湾、香港のキリスト者、それに主催者側の10人ほどのアメリカ人など約90名が集まって、北東アジアの平和と和解について話し合い、キリスト者として役割と課題を見出す、とても貴重な体験だった。

このフォーラムでは「和解はjourney(旅路)」がテーマだった。また「和解はgift(賜物)」ということも話された。旅を表す言葉は他にtrip やtravel などがあるが、これらが明確な目的地、時間や長さ、往路も概念に入っているのに対し、journey は「道中」、「道のり」など移動中のプロセスを表す。また長く遠いイメージがあるので「旅路」と訳した。そのことから和解は一夜にして与えられるようなものではなく、最終地点(結果)でもなく、神様のお導き中で続ける長い旅路のすべてで、その道中の喜びも苦しみもすべてが神様によって与えられる賜物ということではないかと思った。

思えば私はここ数年の間で、すでに多くのキリスト者が何十年間も地道に続けている「和解の旅路」にちゃっかりと最後尾で合流させてもらっている気がする。きっかけは身近に起こった対立に神様の和解の知恵を頂きたいと祈り求めたことだったのだが、そのうち今まで見えていなかった国内外で起きている「和解」を巡る様々な事件、関係が気になるようになり、自分の中で関心がどんどんと膨らんでいった。共助会との出会いもそんな時だった。今は開かれた扉の前に立ち、共助会の皆さんが長年テーマにしている韓国、沖縄などの「和解の旅路」に新メンバーとして迎え入れられようとしている、そんな心境である。

私は大学時代にワンダーフォーゲル部で山に登っていた。仲間と真っ白な地図を読み込んで、どのルートをどのように進むかを決めることから始まり、短波ラジオの音声を拾って天気図を作成し、食料や水を管理し分け合い、山頂まで仲間と協力して一歩一歩進んでいくのだが、山頂で味わう達成感も、下山した後の安心感と疲労感も、その行程すべてがひとつの旅だった。うっかり道を間違えたり、悪路のためルート変更したり、悪天候やメンバーの病気やけがで計画が変更されたりとん挫することもあったが、和解の旅路もきっとそんなものだろうかと思う。でも大丈夫。コンパスを握る隊長は神様、御言葉は命をつなぐ食料と水。賛美の歌をエールに、元気を出して、さぁ、新しいjourney に行ってきます!