沖縄をたずねて 下山田誠子

夫の体調を心配して「暖かい八重山にどうぞ……」と古い友人からのお招きを受けて、三月初めから沖縄に行ってきました。桜花は散り始め、田植えも終わっており、緑が陽光に輝く美(ちゅら)島、石垣でした。

石垣市長選挙の宣伝カーにさえぎられつつ、中央教会の礼拝説教を聞き、礼拝後のお茶の会に招かれ、高齢の女性から戦時下の体験を伺いました。十歳の少女だった彼女は二艘の船で台湾に疎開しようとして、一艘は撃沈、他は尖閣に流れ着いて、雨水を掌に受けて生命をつないだこと、船を修理して戻った石垣の家は軍に接収されていたことなど、リアルに話されました。最後に「軍隊が国民を守ることは絶対ないのです」と。本島に行くより台湾に疎開する方がずっと近かった、という事実に改めて地図を眺めました。

友人からは沢山の戦禍の跡を案内して頂き、「満州」にも開拓団や義勇軍が送り出された経緯なども伺い、驚くことばかり。この暖かい島から極寒の地に送られてどんなに苦労されたことか、帰らぬ人となったり、残留孤児になった方々もあると伺い、満州への送り出しが日本一の長野県人の一人として、苦しみを共有でき、引き揚げ者である私も胸に迫るものがありました。お上によい顔をしたい、と招集した地方の役人や、教師たち、この構図は変わらないと思いました。

ひっそりと資料館が残っております。

沖縄本島でも〝メンソーレ〟と旧い友人たちに迎えられ懐かしい再会でした。辺野古の闘いに、何の役にも立たなくなったことを嘆くと、「沖縄に思いを寄せ、祈っていて下さること、これが大きな励ましです」と逆に慰められる始末。

いつもいつも柔和で忍耐強いウチナーの方々でした。

キング牧師が凶弾にたおれて半世紀、非暴力平和の行動を闘いつづけた、阿波根さんも、もうおられません。八重山は日本の防波堤……「いつまでがまんしなければならないのですか」の叫びに耳を塞いでいるわけにはいきません。

東京上空にオスプレイが飛来して、ようやく驚く、この想像力の貧しい本土人の現実ですが、歴史を支配なさる神様は、正義と平和を完成なさる方、とここに希望をつなぎたいと思います。キング牧師の夢もここに根ざしていたのですから。