無究花(むくげ)と桜(さくら)―真理は隣人によって証しされる  堀澤 六郎

私は小中学校時代を貧困と劣等感の中で過ごし、田舎の小さな工場に就職した。1年働いた後に奨学金を借りて工業 高専に学ぶ機会を与えられた。そこで良き師や、内村鑑三の『後世への最大遺物』に出会い、いかに生きるかを模索し ていた頃、1968年に高橋三郎先生と出会った。「政治と宗教」(『高橋三郎著作集7』所収)の講演を通し、先生の背後 におられる神に出会った。高橋先生が編集された韓日友和のためのセミナーの記録『無究花と桜』(聖燈社)を読み、その中の「和解のために」(『同著作集8』所収)を通して、無究花が韓国の国花であることを初めて知り、日本が韓国から 7つを奪ったことも示された。王、土地、米、生命、姓名、言葉、人間の7つである。自分の罪だけでなく、日本民族 の罪も知らされ、罪の赦しの祈りの第一歩が始まった。

5年間の工場での勤務の後、医学への志を与えられた。その頃、南の開発途上国と北の先進国との格差が南北問題とされ、「西暦2000年までに全ての人に健康を」という目標が世界保健機構(WHO)から出された。自らの貧困の経 験と伊藤邦之先生との出会いを通して、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の働きに参加することが促された。J OCSの設立には戦争の罪責に対する償いの背景があったと教えられた。愛知国際病院で研修中の1984年に妻の明 子と初めて韓国を訪問した。延世大学の地域医療の現場やハンセン病の療養所などを巡りながら、日本民族の罪の赦し と韓国の民主化を祈る旅であった。研修を終え、1989年から内戦下のカンボジアへ家族4人で派遣された。

首都プノンペンの国立外科病院に勤務していたが、祈り求めていた和平が実現することになり1991年に任地を後にした。韓国でも1987年に民主化が実現した。そのためか愚かにも赦しと和解の祈りを続けることを怠っていた。

昨年秋、共助会の京阪神修養会に参加させていただき、韓国の民衆神学を継承している崔享黙先生から、韓国の現場での民衆のローソク抗争と宗教化した資本主義にキリスト教がどのようにかかわってゆくかを教えられた。主題の「真 理は隣人によって証しされる」はボンヘッファーの言葉で李仁夏先生が『歴史に生きるキリスト者』で引用している。 戦争ができる国になった日本で今、自分の持ち場でこれからどのように赦しと和解と平和を祈り求め、振る舞っていったらよいのか、韓国の隣人によって真理を証ししていただいた。