今、出来ること ― 総会開催延期の中で ― 飯島 信

このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは12人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」 (ヨハネによる福音書 第6章66—69節)

「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。 (ペトロの手紙一 第1章24—25節)

 

1 御言葉を宣べ伝える

 4月16日(木)に緊急事態宣言が全国に拡大された翌週、京都共助会の友人からメールが届きました。そこには、4月19日(日)の北白川教会の様子と、片柳榮一さんの短い説教が添付されていました。北白川教会は宣言を受けて礼拝は中止となりましたが、教会の入り口の扉は閉ざさずに、集まれる者数名によって礼拝が行われていました。説教を読み終えた私は、これをぜひ共助会のホームページに載せたい、『共助』でも紹介したいと思いました(今号に掲載)。今、この時だからこそ、一人でも多くの人に読んで欲しいと思ったからです。片柳さんも了解して下さり、まずホームページに収録されました。

コロナ禍によってほとんど全ての教会の礼拝が中止となり、それぞれ自宅で守るようになったこの時、共助会として出来ることは何かを考えます。今だからこそ、御言葉に向き合い、御言葉を聴きたいと思う人は少なくないのではないか。そうであるなら、求めている人々に御言葉を届ける。それがこの時代にあって私たちの出来ることの一つではないかと思いました。

片柳さんに続いて、1月の伝道に関わるシンポジウムに参加した友たちに私の思いを伝えたところ、小友 聡、土肥研一、石田真一郎、木村葉子氏らがすぐに応じ、説教原稿を送って下さいました。今、共助会のホームページには、会員によってなされた説教が掲載されています。緊急事態宣言が解除されるまで、更新を続けることが出来ればと願っています。

 

4月7日(火)に緊急事態宣言が東京など7都府県に発令されて以降、私の生活は一変しています。礼拝でお会いすることの出来なくなった教会員一人ひとりの消息を尋ね、礼拝説教や礼拝の動画を送るために、1週間が過ぎ去るのがこれまでとは比較にならない速さとなりました。

一人の教会員から封書が届きました。礼拝献金・感謝献金と共に、2枚のメモが同封されていました。

 

「印象に残る文章(4/19の説教から)その一。『世にあって、自らが力なき者、無力な者であることを思い知った時、イエス様は私たちの最も近くにいて、私たちを励まし、支えて下さいます。』この説教は、私の好きな讃美歌21― 532『やすかれ わがこころよ』を思い起こさせてくれます。」

「印象に残る文章(4/26の説教から)その二。『私たちの全てを知り尽くしている主に、この身を任せ、神様から与えられた人生の道を、祈りつつ、歩み続けようではありませんか。』この説教は、私の好きな讃美歌『ガリラヤの風かおる丘で』を思い起こさせてくれます。」

誰もが経験したことのない、しかも世界規模の未曾有の災禍の中で、自分に出来ることは何かを考える日々が続きます。私は、牧師として、教会員及び関係者に礼拝説教や礼拝の動画を送ること、それが第一です。第二は、共助会の友と共に、一人でも多くの人々にホームページを通して御言葉を届けることだと思っています。

ホームページの検索者が日々300件を超えることが多くなりました。御言葉に聴き、御言葉に支えられて、この試練の時を乗り越えたいと思います。

 

2 総会開催延期について

2020年5月18日(月)午後9時現在、米ジョンズ・ホプキンス大の集計によれば、新型コロナウイルスの世界の感染者数471万8215人、死者31万5283人と報じられています。私の72年の人生の中で、未だかつて経験したことのない、未曾有の社会的問題の渦中にいることを実感します。医療現場では、自ら感染の危険を承知の上で一刻を争う救命活動に奔走する関係者たちがいます。経営が立ち行かなくなった企業や商店から、雇い止めに遭い、路頭に迷う人々がいます。また、直接・間接を問わず、コロナ禍によって居場所を失った人々がいます。さらに、全国民に一律10万円が支給されることが言われながら、住民票を持たないため、その対象から外されてしまうかも知れない路上生活者やDⅤ被害者がいます。

このような様々な現実を目の当たりにしつつ、緊急事態宣言のもと、私たちの総会も延期を決めました。事態が収束し、延期された総会を開催し得た時、問われるのは、この未曾有の経験を通して、神様が私たちに何を語ろうとされているかということです。私たちの101年目の歩みに、共に担い得る課題をどのように見出し得るのかということです。

苦しみや悲しみの渦中にいる人々に何が出来るかを探し求め、一日も早いコロナ禍の収束に向けて祈りを合わせて行きたいと思います。

(基督教共助会委員長・日本基督教団 立川教会牧師)