祈 り〜小笠原 順

青森共助会で工藤さんから私共夫婦が、京都から青森に移り住んだ理由と、住んでみての感想を語ってほしいとのお話を頂き、遠い過去を振り返り、私共が青森で出会った一人の青年の話を少し記させて頂きます。

私は京都で生まれ育ちました。青森生まれの母が私の小さい時、雪の美しさやオモシロさ、また雪国の生活の態など、語って聞かせてくれました。何回か聞く中で幼いながら何となく青森に行ってみたい憧れのような気持ちを抱いておりました。それから二、三十年後、京都で出会った主人がたまたま青森出身であることを知りました。当時、主人の両親は六十五歳を超えておられ毎年雪の降りしきる中、雪掻きに励まれ少し体を痛めておられると聞きました。幸い私の子供達も独立してきておりましたので少しでもご両親によりそうことが出来ればという希いが青森へと歩みよる一つの契機となったように思います。

当時、青森の八戸には下田裕介さんという信仰深いクリスチャンの青年がおられ主人は彼と、とても親しくしておりました。彼は大学を卒業する頃心の病を発症し、時折体調のすぐれないことを電話で伝えてくれておりました。

たまたまその頃、主人が青森の実家に帰った時、主人は八戸の彼を訪ねました。彼と主人は海辺を歩きながら次のようなことを語り合った、と申しておりました。

「青森は半年近く雪に閉ざされている為、農業、産業、工業等おくれ気味になる貧しい地方だ。また、教会も少ないように思う。」と、彼は淋しそうに訴えたそうです。

それから彼の病は進行し、辛い中、主人に電話で次のように語ってくれました。

「わたしはこんなに神様を愛しているのに、そして、こんなに一生懸命祈っているのに、神様は沈黙し続けておられる。わたしは神様を見放してしまいそうだよ。」と。

主人は即、折り返し

「君が神様を見失っても、神様は君をつかんで放さないよ、わたしは近い日に青森へ行くから共に聖書を学び、共に祈り、一緒に伝道しよう。待っていてくれ給え。」と、叫んだそうです。彼は暫く間を置いて

「うん、わかった。一緒に伝道しよう。」と、電話の向こうから応えてくれたそうです。

主人は一瞬、ほっとし彼が元気になって、彼と共に伝道できることを楽しみに待ち侘びておりました。

ところが残念なことに、その二、三ヶ月後、約束した甲斐もなく彼は深い雪の中で神様の御許に召されました。主人は驚き悲しみ愕然としましたが、彼を慕っていた主人は彼を偲びながら、何度も惜しみつつ、彼のことを忘れることができませんでした。この悲しい出来事の後、私達は彼が遺した

「青森は雪によって貧しくされ、教会も少ない。」との言葉を噛みしめながら青森に移り住みました。

時は流れ、青森に移った主人もまた、彼の後を追うように天に召されました。

主人が主の御許に帰り五年経過いたしましたが、彼と主人は青森を懐かしみつつ天国で

「主の御心が天になる如く、地にもなさせ給え。」

と、二人で一生懸命、祈ってくれている。と、信じます。

今、現実に目を注ぐと、変わらず、たしかに青森の気候、風土は厳しく、自然環境として決して豊かとは言えないかも知れませんが、私はこの地で生活させて頂いて、与えられた環境の中で耐え忍び、忍耐強く頑張ってられる青森の皆さんに頭の下がる思いです。バスに乗りましても手足の不自由な方が乗って来られると、つと、立って席をゆずられる光景を見るにつけ、そのうるわしい姿に接していると、ぬくもりと、温かさが伝わって参り、そのやさしさの中に、

「ここにイエス様が在す。」

そんな気持ちがふつふつとこみ上げて参ります。そしてイエス様は

「今、与えられている全てに満足しなさい。」

神、ご自身

「わたしは決して、あなたから、離れず、決してあなたを置きざりにはしない。」と、言われました。だから私達は、はばからずに次のように言うことができます。

「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」(ヘブライ人への手紙十三章五~六節)

私達自身は小さく弱いですがイエス様に祈り求めてゆく時、祈りを通して御聖霊が、お働き下さって、神様御自身から、その時、その場にふさわしい愛のみ業をお示し頂けますことを信じ、感謝でございます。