弱さの中で与えられる主の希望 碓氷 麻里加

◆自己紹介

碓氷麻里加と申します。社会人6年目の二七歳です。日本聾話学校(日本で唯一のキリスト教主義の聾学校)で働いております。高校生の時に信仰を与えられ、大学3年生(20歳)のクリスマスに中渋谷教会にて受洗しました。中渋谷教会の交わりの中で佐久学舎のことを知り、その学びと出会いの中で自分の生き方について考え、そして示され、今の職場で働いています。今回は佐久学舎との出会い・学び・自分に示された生き方・今の働き・その中で考えていること等を中心にお伝えできればと思います。

◆佐久学舎との出会い

〇佐久学舎に参加する前

大学二年生の夏、通い始めたばかりの中渋谷教会教会員の同級生に誘われたのがそもそものきっかけでした。そのような集まりがあることに驚きました。同級生曰く、「色々な世代の人が集まって聖書を学ぶ。自分の発表箇所が決まっていて一人一人発表する。朝は早天祈祷会がある。場所は長野の山の中。炊事・洗濯等は自分たちでする。トイレは水洗ではない。お風呂もシャワーはなく、お湯も出ない。お湯を沸かしながら入る。」とのこと。そしてものすごい笑顔で「これがなかなか良いのだ」と勧められました。すごい子だと感じ、同時に彼女をとても良い子だと思っていたので、この子がこんなに言うならきっとそれなりに魅力のある集まりなのだろうとも感じました。しかしその時は、自分はいいかな、と思いました。

その後、クリスマスに受洗。中渋谷教会で教会生活を続けました。就職に向け、色々なことがありましたが、何とか社会人一年目を迎えました。その後にふと「今年なら行けるかもしれない」と思いたち、参加を決めました。色々なことがあったことで、生き方の転換を求められたからだと思います。今から思えば、当時の自分の価値観は一般社会によって一方的に作り上げられたもので、佐久学舎というところはその価値観からはかなり離れたものであることは容易に想像できました。それまでは他の価値観を受け入れられる状態ではなかったのかもしれません。

〇佐久学舎に参加して

初めて学舎についた時、石川さん・山本さんそして川田先生が出迎えてくださいました。とても温かい笑顔が印象的で、今でもよく覚えています。特に川田先生がとても力強く握手をし、「よくきたなあ!」と言いながら、肩を叩いてくださったことは忘れられません。「私この人と初対面だよね?」とその温かさに困惑しながらも、自分の存在を全肯定されていることを全身で感じ、ただただ嬉しかったです。そしてこの温かさは、参加者全員に共通したものであることをその後知りました。私もお一人お一人を大切にしたいと思いました。〝大切にする〟とは、一人ひとりを神さまに愛された存在として認めること、尊敬すること、心を開くこと、嘘をつかないこと、誠実であることだと思っています。佐久学舎の日々は、普段意識していた自分の立ち位置、社会的カースト、周りからの評価、周囲の視線から解き放たれた時間でした。自分も解放され、同時に私も人のことを解放できました。学舎での生活の多くを占める祈りの時間も貴重でした。始めは人前で祈ることも恥ずかしく、「ちゃんとしたことを言わなければ」とどうしても意識し、素直に祈ることができませんでした。しかし、御言葉を聴き続けるうちに少しずつ自分のその時の思いを祈れるようになりました。自分より年上の大人たちが周りの目を気にせず、時には涙を流しながら祈る姿も大きかったかもしれません。その姿を美しくも、うらやましくも感じました。はじめは無理だと感じていたシンプルな(不便な)生活も、むしろ御言葉を聴く上で必要なものなのだと知りました。無駄な(便利な)ものがそぎ落とされていく中で、生きることや御言葉を聴くことに集中することができました。うわべだけで生きるのではなく、日常が深掘りされていく感覚でした。

◆佐久学舎での学び

学びの時間は緊張するとともに、時間が進めば進むほど頭が熱くなってくる感じがあります。聖書に書かれていることがどんどん深く掘られ、かみ砕かれ、咀そ 嚼しゃくされていく感覚です。同時に自分の愚かさや罪、無能さ、どうしようもなさ、ちっぽけさも露呈してくる気がします。人は騙せても、神さまに言い訳はできても、自分に嘘はつけません。騙していることも、取り繕っていることも、言い訳していることも、自分ではすべてわかります。どれほど人と、何より神さまと向き合えていないかがわかります。普段は目を背けていることが露呈します。怖い、と感じます。でもそれと向き合うことが出来なければ、いつまでも裏切り続けることになります。痛みを伴いますが、その痛みを通して、私はようやく神さまときちんと出会い、向かい合い、心から祈ることができるのです。なので、佐久学舎に行く前はすごく楽しみであると同時に、いささか緊張します。若干躊躇します。この痛みをまた感じることにドキッとするからです。しかし、それでも私は神さまと出会いたくて佐久に行きます。

◆日本聾話学校での歩み

〇日本聾話学校で働くことになった経緯

社会人1~3年目で二つの仕事を経験しましたが、どの仕事も契約社員の扱いで、最長三年で契約解除となる仕事でした。これからの人生、どのような仕事をし、どのように生きていくのか、ということを強く考えさせられました。とはいえ、どのような仕事をしたらいいのか、自分は何をしたいのか、まったく浮かんで来ず、そんな自分に焦りも感じました。

とにかく道が示されることを祈り、悶々としながら社会人3年目の夏も佐久学舎に参加し、コリント書を学びました。そして、愛の箇所の学びをしていた際、御言葉を聴きながら涙があふれました。自分はなんて浅はかで、どうしようもない人間なのか、愛なんてこれっぽっちも持っていない、何もできない存在なのだと痛感したのです。こんな自分に何ができるだろう、と思いました。誰かを愛することもままならない。助けたり、救うことなど到底無理だ。ではどうする?

そこまで考えた時に、私はイエス様のことを思い出しました。できないけれど、少しでもイエス様に倣う者として、神さまから示されている道を歩きたい、と思いました。そしてイエス様はいつも小さな人々(弱い人々)と共にあられたことを思い起こしました。私もそのような人々と共に歩むことならばできるのではないか、そのように考え、早速川田先生に相談しました。「弱いとされる人々と共に歩む生き方をしたい」と伝えると、川田先生に日本聾話学校を紹介されました。そこですぐに働く、ということには勿論なりませんでしたが、その後偶然にも教員募集があり、勤めることとなりました。現在3年目を迎えています。

〇働き始めて

新任研修の際、建学の精神や経緯を学ぶ機会が与えられました。その中で、創立者のライシャワ夫妻(宣教師)は何よりもまず、日本人を愛し理解し、一人一人を大切にし、交わり、神さまの愛の中で共に生きることを大切にされた方であったことを知り、自分の望む生き方と重なりました。そしてこの思いは、教育にも深く根付いています。日本聾話学校は聴覚主導の人間教育を掲げ、手話は使わずに口話法を用いています。小さい頃から残された聴覚を活用し、聴き、そして話すことを求めます。ただし、話す練習はしません。自然のやり取りのなかでことばを獲得していくことを大切にしています。子どもたちが心から聴きたい・話したいと思った時に初めて〝ことば〟が〝生きたことば〟として子どもたちの中に育つと考えているからです。教員にも、子ども(保護者)たちを愛し理解し、一人一人を大切にし、交わり、子どもたちと共に生き、共に育つことが求められています。その中で生まれる心のこもった対話によって、子どもたちのことばと心が育まれますし、私たち自身も変えられていくように思います。

〇働きながら考えること

日本聾話学校の子どもたちは、小さなころから保護者に、そして先生たちに一人一人が大切にされ、受け止められ、一言一言を大切に聴いて(聴いてもらって)育っています。そのため、心がとても豊かで、開いています。そのみずみずしさに私自身が元気をもらい、この子たちと今を生きることができて幸せだと感じます。私が豊かにされている、共に生かされていると感じます。子どもたちと、そして保護者と歩むことを許されている、という感覚に近いかもしれません。そんな子どもたちと心の通ったやりとりをしたい、そのためには、大人として教師としてということ以前に、一人の人間として子どもたちと真正面から向き合うこと、一人の人間として子どもたちと共に生きることが求められます。これは 私自身の立ち方、考え方、生き方、感性の一つ一つが問われる、ということでもあり、時にそのことが恐ろしくなることもあります。共に歩むことすら実はとても難しいと感じます。

しかし、なぜか私のようなものが神様によって志を与えられ、日々の勤めを与えられているのです。しっかりとその勤めを果たしたいと思います。しかし、私が自分の力で果たすことは不可能だろうとも思います。神さまによって力を与えられ、神さまに用いられてこそ可能になるのではないかと思うのです。それが今の私が働く中で感じる希望です。

◆今後の展望・希望等

やはり思うのは神さまに従っていきたいということであり、神さまに喜ばれる生き方をしたいということです。答えはありません。今の自分の歩みが果たして喜ばれるのかも、結局のところはわかりません。ただ、神さまにこの仕事が与えられている間は、精一杯その勤めを果たしていきたいですし、(仕事に関わらず)次の勤めを示された時にはしっかりとその勤めを果たしたい、用いられたいとも思っています。今の時代には様々な価値観が渦巻いていて、自らの価値を他人によって決められてしまいます。その中で自分を見失ってしまいます。息をすることが苦しくなる時があります。しかし、自分のすべてを理解し、受け止め、愛してくださる神さまに与えられた価値観に従って、神さまの愛の中を生きたいと思います。そうでなければ私は生きられません。神さまに心から従うために、弱い者であることを恐れない者になりたいとも思います。どんな時でも神さまを求める者でいたいと思うのです。そして、そのためには自分がとことん弱い者である必要があるのではないか?と考えることがあります。少なくとも私は弱い時の方が神様のことを求めている気がします。強くなることは簡単で、弱くなることは時としてとても難しいことであるように感じます。〝神さまは私たちに強くなることを求めているのだろうか?〟これはいつも私が私自身に問うている問いです。

伝道、という使命について考えることもあります。自分もまだそんなに長くはない人生の中で様々な痛みを経験し、そのたびに神さまに守られ、救われてきました。子どもたちにも、そして大人たちにも、苦しみの時は誰にでも必ずあります。その時に必ず神さまがいてくださるということを、知って欲しいと思います。そして許されるならば、そのような痛みの時に自らも共にありたい、とも思います。クリスチャンの生き方を通しての伝道、ということも考える機会も増えました。結局自分もクリスチャンとしての在り方を周りのクリスチャンから学び、憧れ、尊敬したからこそ、より学びに前向きになれた面があると思うからです。あるいは、信仰に躓く時もまた人によるからです。

クリスチャンとして、ただ立派に見せるのではなく、ただ一人の小さき者・弱い者として、だからこそ神さまに従うものとしての生き方を探求していきたいですし、その中にこそ希望が生まれると信じています。(日本聾話学校教員 日本基督教団 中渋谷教会員)