宣言

有事法制に反対し、
日本国憲法・教育基本法を守り 平和を求める宣言

1919年、森明によって創立されたキリスト教共助会は、神の赦しと導きの中に84年の歳月を歩んできました。

しかし、戦前の共助会が負った日本の歴史は、天皇を神と規定する大日本帝国憲法下、思想及び良心の自由、信教の自由は著しく制限され、日中戦争から太平洋戦争へと続く対アジアへの侵略戦争の歴史でありました。

このような時代のさなかにあって、私たち共助会は、平和の福音を携えて中国にわたり、敗戦直前、ソ連軍によって殉教の死を遂げた先輩を与えられつつも、朝鮮・台湾への植民地支配、アジアへの侵略戦争、神ならぬものを神とする神社参拝の強制に対し、最後まで反対の声をあげることが出来ませんでした。

そして、敗戦後の今日に至るもなお、私たちはこの事実を歴史の主なる神の前に懺悔することが出来ませんでした。

21世紀を迎えた今、私たちは何よりもまず神の前にかつて犯した私たちの罪を告白し、今なお塗炭の苦しみの中にいるアジアの人々を覚え、心からのお詫びをいたします。

そして、二度と過ちを繰りかえさないとの新たな決意を内外に表し、日本及び世界の平和を実現するため次のように私たちの立場を明らかにしたいと思います。

 

一, 有事法制三法、即ち「武力攻撃事態対処法」「改正自衛隊法」「改正安全保障会議設置法」に反対します。

一, 日本国憲法・教育基本法の改定に反対します。

 敗戦によって神から与えられた恵み、それが日本国憲法でした。

神は、この日本国憲法に拠って立つ私たちの歩みを祝福しておられるのです。

特に、日本国憲法第9条に記されている「戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」こそ、戦後の日本の歩みを導くものでした。今、日本国憲法の改定とともに、戦後民主教育の土台とも言うべき教育基本法までも改定されようとしています。

しかし、この日本国憲法、教育基本法は、私たちの犯した過ちによって流されたアジアの人々の血の代償として私たちに与えられたものです。そのことを決して忘れてはなりません。

 基督教共助会に連なる私たちは、有事法制に反対し、日本国憲法・教育基本法を守り、平和を求める歩みを続けます。以上、宣言します。

2003年8月15日 敗戦記念日に

飯島信・河合達雄・木村葉子・佐伯勲・山本精一・金子健二・堀光男・岡田長保・岡田照子・大島純男・大島長子・林律・安積力也・牧野信次・李仁夏・内田文二・森川静子・清水武彦・片柳栄一・原田博充・尾崎風伍・鈴木幸江・木村一雄・井上健・野々口吉和・黒瀬健二・片岡秀一・下村喜八・飯沼二郎・平良久美子・高橋伸明・小林樹恵・石川光顕・浅野澄子・狩野義子・橋本洽二・井川満・井川千代子

主旨

本会はキリストのために、キリストの恩寵に浴したる者が、キリストの精神を奉じ、キリストをわれら大学・高等学校の諸友に紹介せんとする目的をもって組織せられたるキリスト者の団体である。

キリストの教訓と人格とに対して質実なる態度をもって接近せられんとせらるる友の助力者ともなり、かつわれらの日常寂漠たる精神生活を相互に慰め、清き友情を結び、共に助け進まんこともまた、本会の目的とするところである。

会はいずれの数派にも属せず、「キリスト」のほか全く自由独立の団体である。

一, 本会は大学、高等学校学生キリスト教共助会と称す。

二, 本会の総務部を東京に置く。

三, 会員は大学および高等学校に学籍を有するもの、もしくは卒業者にして、キリストの名においてバプテスマを受けいずれかの教会に属する者より成る。しからざる者を準会員とする。

四, 独立のため、会員は各自より応分の会費を随意支出す。

五, 入会および退会は、幹事へ通じ然る後決定す。

六, 本会の事務を進行せしむるため、会員互選にて幹事若干名を置く。任期は一カ年とす。幹事は、書記・会計、会員の出入、講 師その他に関する事務を執行す。

七, 相談会。会員は毎年九月および一月の二回、会の総ての事業につき、相談会を開く。その他必要と認めたる時も同じ。

八, 必要と認めたる時は、会の顧問を置くことを得。ただしなるべく会員中よりこれを依頼すべし。

日の丸・君が代の強制に反対する宣言

私たちは今、わが国の政治の動向を深く憂いています。

特に学校現場において日の丸・君が代の強制が行われ、これに反対する教師たちは、教育の現場から追われようとしています。このような最近の事態はもはや座視することができません。

これは、単に学校教師だけの問題ではなく、私たちすべてにとって既に現実の問題となってきた、良心の自由にかかわる問題です。良心の自由なくして私たちは人間らしく生きることができません。

あらゆる角度から見て、日の丸・君が代の強制は国民主権の憲法に違反し、またそこに保障された基本的人権を侵害するものであり、見過ごしにできない問題です。
国家が国民に保障している最も基本的な大事なことを、国家自らが踏みにじろうとしているこのような国の政治のありように対して、私たちは反対をいたします。

そうすることは、憲法に保障された国民の自由と権利を保持しようとする、私たちの不断の努力の一環であり、このような努力を通してのみ、日本が、人類普遍の原理に基づいて国際社会に貢献する国家となることができると信じるからです。

日本国民の精神的機軸をどこに据えるべきかに関し、今、政府与党の動きの背後にある発想は、かつて関係諸国民特にアジアの人々に取り返しのつかない害を加え、自らの国を破滅に至らしめた戦前の発想と少しも変わっていません。

このような現今の状況下で、私たちは、かつて日本のキリスト教会と共助会の先輩たちが直面 したのと同じ問題を、今度は私たちが担うべき時が、今来ていると感じています。

基督教共助会は、その規約に、自らを「キリストのほか自由独立の団体」と規定しています。
今、日本では、国が過ちを犯そうとしている事態に対して、本来なら歯止めとなるべき政治勢力が弱体化しています。
政治力学だけが働いて真理に立って発言する声が小さくなってしまいました。

このような状況のもとで私たちは、キリストにある自由によって立ち声をあげようと心を決めました。

共助会はまた、この時代と世界とに対して果たすべき使命のために、共に助け進もうとするキリストにある友情の団体です。
今、私たちは、信仰の同志として親しい友である教師たち、またその背後にある、知ると知らざる多くの良心的な教師の友らを支え、その良心と信条の自由のための戦いに連なりたいと願い、次の宣言を公にいたします。

1. 私たちは、日の丸を掲げることあるいは君が代を歌うことについて、いかなる強制を加えることにも反対する。

(1) 特に公権力による束縛や強制に反対する。
(2) 日の丸・君が代の法制化がなされたが、それ自体は何ら強制の根拠となるものではない。憲法(特に、思想及び良心の自由を定めた第十九条)と教育基本法に違反する疑いのある一切の法令、告示、職務命令等に反対する。
(3) この宣言は、日の丸・君が代を認めるか認めないか、好きか嫌いかということを問題にするものではなく、その強制に反対するものである。

2. 国旗や国歌は、国の象徴である。象徴は本来、法的強制力を持つものではない。私たちは、およそ象徴に過ぎないものを、人為的に国民の精神的機動にしようとするあらゆる演出や強制に反対する。

(1) 私たちキリスト者は、聖書を適して自らを啓示された唯一の真の神のみを礼拝する。これは「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことによって示された神の愛」に対する自由な喜びの応答としてささげる礼拝である。私たちはこの信仰の立場から、たとえ儀礼的形式にせよ、およそ拝礼を強制することに反対する。特に公権力によるそのような強制は、信教の自由を定めた憲法第二十条に反することである。
(2) 私たちは、自らの良心・信条に従って日の丸の掲揚や君が代の唱和を拒否する者に対して有形無形の圧迫を加える、雰囲気の醸成にも反対する。

3. もし、自国を誇りに思う国民育成のために国旗や国歌を強制するのだというならば、これほど転倒した考え方はない。まずしなければならないことは、誇るに足る内実を実らせる努力である。私たちは日本の国を、人類普遍の原理に立ち、相互理解と和解による平和の実現のため、軍縮と環境保全のため、そして専制と差別 をなくすために努力する国にしたい。そうすることによって初めて、国際社会の信頼と尊敬に値する国となれる。そのためにまず次のことを強く求める。

(1) 外に対しては、過去において日本の国と国民が関係諸国民、特にアジアの人々に対して犯した罪を公式に謝罪し、その償いをすること。
(2) 内にあっては、政・財・官の指導層から率先して倫理的な志操を高く保つこと。

※この宣言は共助誌2000年2・3月合併号に掲載されたものである。

韓国の共助会の友たちへ

基督教共助会は、1919年に創設され、以後今日まで10名をこえる韓国の友を与えられてきました。

創設の年1919年は、三・一独立運動の年であり、その後の日本の苛酷な植民地支配の中にあっても、韓国の友と主にある友情を結ぶことをゆるされたことは、主の恵みとして感謝にたえません。

さらに1945年以後、日本の罪責を主にあってゆるし、主にある友情の手をさしのべる新しい友を与えられたことも、つきない感謝です。
そのような主の恵みと主にある友情に支えられて、今回はじめて韓国の地において共助会の修練会を持つことをゆるされました。
海をこえてこの修練会に参加した私たちは、深く感謝すると共に、主の前に、また韓国の友の前に、隣国との関係における日本の罪責と私たちの罪責を改めて省みさせられ、十字架の主を仰がしめられました。かつて、私たちは韓国の人々の独立の願いを理解せず、その民族性を奪い同化を強要する日本の国家体制に反対せず、数々の暴虐な支配に目をつむりました。

私たちはまた日本の諸教会と同様に侵略戦争や神社参拝等の偶像崇拝に抵抗せず、それに抵抗して苦難を受けた韓国人キリスト者を見過ごしにしました。
1945年以後私たちは、日本もまたその責任を負っている南北分断をはじめとする諸問題に苦悩する、韓国の友たちの祈りを共にすることがあまりに少なくありました。

在日韓国人の人権や差別 の問題についても同様であります。
私たちは韓国の友たちの忍耐と寛容に甘えてきたのであると、痛切に思わざるを得ません。 韓国におけるはじめての修練会のこの記念すべき時に当たり、私たちは、これらの罪責を主にあって担い、主にある友情を培いつつ、この時を備えてくれた先達たち、特に天に召された李台現、堀信一、澤 正彦、また病の床に臥している和田正の諸兄を想います。

私たちはこれらの良き先達たちの歩みにならい、私たちの罪責を具体的に直視し続け、福音による日本の民主・平和・人権のために努力し、韓国の民主・平和・人権、さらに南北統一のための友たちの努力に祈りを合わせたく思います。またさらに、いつの日か両国をこえて、アジアや世界の主にある真の民 主・平和・人権のために、手をたずさえて仕える日の来たることを心から願います。

1992年4月1日  韓日基督教共助会修練会 日本人参加者 36名

※この共助会員有志による声明は「歴史に生きるキリスト者」 著者川田殖に掲載されている